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두자춘(일한번역문)
杜子春(芥川龍之介)
天馬
故郷を想う
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아우님이 이토록 활약하는 줄 몰랐습니다. 옹근 2년이나 사이트들에서 잠적하다가 돌아오니 아우님이 보이시네. 반갑수다. 이제 우리 만나면 그간 회포를 잘 풀어 봄이 어떠하리오...
곧 《간도빨치산의 노래》전문을 싣도록 하겠습니다. 이 글은 연변문학 2013년 제2기와 제3기에 실렸던 글입니다. 연변문학 2기에 조선글로 된 원문이 실려있습니다.
좋은 글 잘 읽었습니다. 《간도빨치산의 노래》전문은 어디에서 볼수 있습니까? 읽어보고 싶은데요.그때 상황도 더 료해해보고...
참 의미심장한 이야기 입니다.
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3-32『天福地福(てんぷくちふく)』
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2011-11-22
3-32『天福地福(てんぷくちふく)』 ―新潟県― 昔昔、あるところに正直爺(しょうじきじい)と欲深爺(よくふかじい)とが隣あって暮らしてあった。 ある年の正月元旦のこと、正直爺が婆と二人で村の鎮守様(ちんじゅさま)へ初詣に行ったら、隣の欲深爺に出合うた。 「おめでとうさん」 「おめでとうさん」 と、あいさつをかわしたあと、欲深爺が、 「さっき見とったら、二人してながながと掌(て)を合わせていたな。そんなに何を祈願(きがん)していたや」 と、聞いてきた。正直爺、 「なに、去年一年間婆さと二人、病気もしないでまずまずだった御礼と、今年も二人の無事息災を祈願していただけだ。な、婆さ」 「はえ、はえ」 と、言うたら、欲深爺 「それだけか、お前達(めたち)らしいな」 と、言うた。正直爺が、 「爺さは何祈ったや」 と、聞いたら、欲深爺、 「おれは、そのう、おれらしくだ」 と、いう。 「福付(づ)かせってか」 「まあ、そうだ。今晩寝たら夢知(じ)らせがあるじゃろ。何事も願わにゃ叶(かな)わんからの」 「そうじゃのう。いい初夢を見てくらっしゃい」 と、言うて、正直爺と婆は家に帰ったと。 あくる正月二日の朝、正直爺が庭前(つぼまえ)に出たら、欲深爺が道端に待っていて、にっこ、にっこして、 「どうじゃった。いい初夢を見たかや」 と聞いてきた。正直爺、 「ン、そう言う爺さこそ言いたくてたまらんという顔していなさる。いったい、どんな初夢見たや」 と、聞き返した。 「聞きたいか。あ、いや、言わんでもええ、聞きたいに決まってる。実はな、地から福を授かるっちゅう夢じゃった。地福の夢じゃ。どうじゃ、いい夢じゃろう」 「ほう、地福な。うん、お前らしい、いい夢じゃな」 「そうじゃろ、そうじゃろ、して、お前はどんな夢見た」 「まあ、なんだ、地福っちゅうことはないな。それでも、わしらにとっちゃあ、もったいない夢じゃった」 正直爺がこう答えたら、欲深爺は満足げににっこ、にっこして、 「ま、なんだ。お前はお前なりにいい夢見たちゅうことだ。初夢は正夢(まさゆめ)というから、お互い、叶うといいな」 と、言うて帰って行った。 それから幾日かして、正直爺が畑へ行って土おこしをしていると、鍬(くわ)の先がカチンと何かにぶつかる音がした。 「はて、この畑の石はすべて除(の)けたはずじゃがのう」 と、言いながら土を除けていったら、カメが埋まっている。蓋(ふた)を取ってみて驚いた。なんとカメの中にはピカピカ光った大判小判がぎっしり詰まって入っていた。 「こりゃしかし、地から授かった物だから地福じゃなあ。隣の爺さの物だ」 と、言うて、正直爺、仕事を早じまいして隣の欲深爺の家へ知らせに寄った。 「爺さ、爺さ、お前の初夢が叶うた。畑から金(かな)ガメが出た。地福だからお前のだ。早よ行って取って来なされ」 と、言うて、有り場所を教えたと。 隣の欲深爺、喜んで畑へ行った。畑には掘りおこした跡があって、その中にカメがひとつあった。 「これこれ、これじゃ、これこそまさしく地福。この中に大判小判がザックザク。こりゃたまらん」 と、喜んでカメの蓋を取って・・・見て魂消(たまげ)た。カメの中には蛇がウヤウヤと入っていた。欲深爺、 「隣りの貧乏ったれ爺の奴、おれをたぶらかしやがって。どうしてくれよう。ようし、見とれ。今度はおれが魂消らかしてくれよう」 と言うて、そのカメを持って正直爺の家へ行った。梯子(はしご)をかけて屋根の上にのぼり、煙出(けむだ)し窓から下をのぞくと、正直爺は囲炉裏端で腹あぶりをして大平楽(たいへいらく)の様子。 「おれをたぶらかしておいて、なんたる態度。えい、しゃくにさわる」 欲深爺は、カメの蓋を取って、煙出し窓からカメの中の蛇をバサバサと正直爺の頭の上めがけてこぼした。 そしたらなんと、蛇ではなくて、大判小判になって、ジャン、ジャラリン、ジャン、ジャラリンと、こぼれ落ちたと。正直爺、 「婆さ、婆さ、天からお金が降ってきた。天から福が授かった。天福じゃ、天福じゃ」 と、いうて、婆と二人で小踊りして喜んだ。 正直爺の見た初夢は、天福の夢だったと。 正月二日の初夢が正夢となって、正直爺と婆は福々長者になったと。 いちごさっけ、鍋の下ガリガリ
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3-31『人のいいお湯屋(ゆや)』
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2011-11-22
3-31『人のいいお湯屋(ゆや)』 ―千葉県― むかし、むかし、卵と皿と笊(ざる)と炭と味噌と徳利(とっくり)がいたと。 ある日、そろってお湯屋に行った。 久し振りにお湯に入った。卵と皿と笊と炭と味噌と徳利は、すっかりいい気分になり、一列に並んでぞろぞろとお湯屋を出ようとした。 すると、お湯屋の番台から番頭が、 「お前さんたち、ここは銭湯だから、湯銭(ゆせん)を払ってくんな」 というた。 すると先頭にいた卵が、のっぺりした顔で 「番頭さん、おらぁタマに来て、つるんとつかっただけだものいかっぺ」 というて、出て行った。 次の皿は、 「おらぁも、さらさらっとつかっただけだもの、いかっぺ」 というた。 続いて笊は、 「おらぁも、ザァッとしか入らねかった。だから今日はいかっぺ」 というて、出て行った。 番頭が次の炭の前に手を出すと、炭は、 「お湯が混んでいたからよ。おらぁスミへ入っていたから、いかっぺ」 というて、番頭の手をくぐって出ていったと。 残った味噌は、 「おらぁミソカに払うから、いかっぺ」 というたら、番頭は「ミソヅケ」というた。 終(しま)いの徳利が出ようとしたら、番頭が、 「お前(め)はとっくりつかっていたから、湯銭を払うんじゃろな」 というたら、徳利は 「あとでオカンが払いに来るから、いかっぺ」 というて、みなみな逃げてしもうたと。 まずまずいちがさかえた。
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3-30『大師講団子(たいしこうだんご)』
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2011-11-22
3-30『大師講団子(たいしこうだんご)』 ―島根県― むかし、あるところに一人の貧乏な婆さが暮らしておったと。 ある冬の寒い晩に、婆さが囲炉裏端(いろりばた)で針仕事をしていたら、戸口をだれかが、ホトホト、ホトホトと叩いたと。 「こんな晩に、誰れじゃろな。はいはい、ただいま」 といいながら、戸を開けると、お坊さんが一人、着古した破れ衣のまんまで寒そうに立っておった。 「すみませんが、今夜一晩お宿してくれませんか」 と、いかにも疲れ切った声でいう。 婆さ、気の毒になって、 「見らるるとうり貧乏家(びんぼうや)で、おもてなしもなにも出来ませんが、それで良かったらおあがり下さい」 というて、自在鍵(じざいかぎ)に架(か)かった鍋からお湯をすくい、足洗い桶に入れてやったと。 お坊さんは、足を洗うのもつらそうにしておったが、礼をいうて囲炉裏端へ座った。 婆さ、なんぞ食わせるものはないかと思案したが、今夜は婆さも白湯(さゆ)を飲んだっきりだ。なぁんもない。明日の朝、近所の物持ちの家へ行って稲束(いなたば)をいくつか借りようとしていたくらいだ。ふとそのことを思い出し、コクッと一人うなずいて外へ出て行った。 少し離れた物持ちの家の田の隅にある稲を干すための棒に、まだ稲束が掛けてある。 婆さは、「お借りします」とつぶやいて、その稲の束を二、三把(ば)持って戻った。田には婆さの足跡がくっきりと残った。 お坊さんは、婆さのそんな仕業を盗み見していたが、すまなそうな顔をして、念仏を唱えたと。 なにくわぬ顔で土間に戻った婆さ、こぎ箸(ばし)で稲をこぎ、臼で粉にした。団子がつくられ自在鍵の鍋の中に、わずかな藷(いも)や菜(さい)がきざみ込まれて、やっと団子の味噌汁が出来上がったと。 「お坊さん、さぞやお腹(なか)が空(す)いたことでございましょう。ようやく汁が煮えましたからめしあがって下さい。私もおしょうばんしますで」 というて、二人でたべたと。 食べ終えて、婆さが外の方を見て、念仏を唱えたら、お坊さんも念仏を唱えた。 次の朝、外はあたり一面銀世界になっておった。雪がのんのんと降って、婆さのゆうべの足跡をすっかり消してくれたと。 婆さがほっとしていると、お坊さんは、あつく礼を述べて、 「これからは、きっといいことがありますよ」 といい残して、雪のなかを立ち去って行ったと。 お坊さんは弘法大師であったと。その日は旧の十一月二十四日だったと。 婆さの家では、それからのち、運が向いてきて、蝶よ花よと暮らすことが出来たと。 昔にこんなことがあってから、旧の十一月二十四日には、だいしこ団子とか、二十四日団子とかいうて、俵形(たわらがた)にした団子をつくり、藷や野菜とともに煮た温(あたたか)い団子汁をいただいて、お大師さまのおまつりをするようになったそうな。 また、その日には、必ず雪がのんのんと降ってくるそうな。 むかしかっぷり。
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3-29『ネズミのスモウ』
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2011-11-22
3-29『ネズミのスモウ』 ―山形県― むかしむかし、あるところに長者殿と貧乏な爺さ婆さとが隣あってあったと。 両方の家にネズミがいたと。 長者殿のネズミはまるまると太り、爺さ婆さのネズミはやせネズミだったと。 あるとき、爺さ婆さの家の天井裏から、ドッコイ、ドッコイと声がしたので、爺さがのぞいてみたら、長者殿のネズミと爺さ婆さとこのネズミがスモウをとっていた。爺さ婆さとこのやせネズミがころころと転がされていたと。 長者殿のネズミが、 「おまえは本当に弱いなあ」 というたら、爺さ婆さとこのネズミは、 「仕方ないさ。爺さと婆さだってたいしたもの食うとらんのに、おらたちが腹いっぱい食う分(わ)けにゃ、いかんもん」 というた。 これを見て聞いた爺さ、婆さと語(かた)らって、力餅(ちからもち)を搗(つ)いた。出来上がった力餅を、まず、神棚に供え、拝(おが)んでから、お下(さが)りを天井裏に置いてやった。 やせネズミたちは、よろこんで食うたと。 その晩、また天井裏で、ドッコイ、ドッコイと声がしたので、爺さがのぞいて見たら、こんどは長者殿の太ったネズミがころころ転ばされていた。長者殿のネズミが、 「おまえ、どうして急に強くなったや」 ときいたら、爺さ婆さとこのネズミは、 「おらとこの爺さと婆さ、力餅こさえて、神棚に供えてから食わせてくれた」 というた。 「ふーん。俺家(おらえ)の長者、ケチで、一ぺんもなさけかけてもらったことねぇ。おめえがうらやましい。おらもその力餅食うてみたいなぁ」 「そんなにうらやましいなら、明日にでも力餅こしらえてもらってもいいけど、なにせかにせ、おら家(え)の爺さと婆さ貧乏で米持たずだからなあ。おまえたち、長者殿の銭コちょっこし持ってこい」 というた。 その晩おそくに、長者殿のネズミたちは、小判一枚ずつ持ってやってきたと。 爺さと婆さ、その銭コで米買(こ)うて、力餅搗いた。神棚に供え、お下(さが)りを土間に置いてやった。 「うちのネズミも長者殿のネズミも、こっちで食えばいいで」 というたら、爺さ婆さのやせたネズミも長者殿の太ったネズミも、みーんな土間に集まって力餅を食うたと。 婆さが赤い布と白い布でまわしを作ってやったら、それをしてスモウをとったと。 ドッコイ、ドッコイ それ押せ、やれ踏んばれ ドッコイ、ドッコイ って。こんどは長者殿のネズミも爺さ婆さとこのネズミも、いい勝負だと。 次の晩も、その次の晩も長者殿のネズミたちは小判を持ってやってきて、力餅を食い、スモウをとっていく。 そんなことがたび重なっているうちに、長者殿の家はだんだんに銭コがなくなり、貧乏だった爺さ婆さの家に銭コが貯(た)まって、しまいには長者殿を負かすぐらいの長者殿になったと。 ああ目出(めん)たい めんたい あんまり昔コ語(かた)っと、天井からネズミコの小便コ降るどナ。
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3-28『屁(へ)ったれ爺(じい)』
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2011-11-22
3-28『屁(へ)ったれ爺(じい)』 ―青森県― 昔、あるところに爺さまと婆さまといてあったと。 ある天気のよい日に、婆さま、麦干(ほ)していたら、そこへ雁(がん)が飛んできて下りたと。 爺さま、ソバ餅を食べて食べて、腹ぁきつくて、屁ェ出したくなった。が、仕事しとる婆さまに遠慮(えんりょ)して尻の口に栓をして寝ていたと。がまんしてがまんして、がまんしきれなくて、とうとうぽーんと屁ェたれた。その拍子に栓が抜け飛んで、雁に当って雁は死んだと。 晩げになって爺さまと婆さまが雁汁(がんじる)を食べていたら、隣の婆が、 「火コたもれぇ、火コたもれぇ」 といって、家に入ってきた。爺さまと婆さま、 「火コもたもるし、雁汁も食っていけ」 といって、雁汁を椀にもってご馳走した。 隣りの婆、 「うめじゃ、うめじゃ」 というて食べながら、 「どうやって雁つかめえたや」 と聞いた。婆さま、 「なぁんも、しねぇのさ。爺さ、ソバ餅たらふく食うて寝ていたら、屁ェこきたくなって、尻に栓かってたのが飛んで、雁に当っただけだ」 と教えてやった。隣りの婆、 「うんめかった」 というて、帰ろうとするのへ、爺さにも、というて、別の椀に一杯持たせてやったと。 次の日、隣りの婆は、ソバ餅をたくさん作ってむりやり爺に食わせ、尻に栓をかって寝かし、麦を干したと。 麦干ししながら雁が飛んできて下りるのを待っていたが、雁は一羽も下りてこない。手持ちぶさたで、麦を掻(か)きまわしたと。 寝ていた爺、麦を掻きまわす音を聞いて、てっきり雁が下りてきたと思って、ポーンと屁をたれた。栓が抜け飛んで婆に当り、婆は死んだと。爺、 「婆、婆、雁コァ捕れたかあ」 というて、庭におりて見たら、婆が死んでいたと。 欲張って人真似すれば、大水(おおみず)くらるじィ。 どっとはらい。
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3-27『舌切り雀(したきりすずめ)』
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2011-11-22
3-27『舌切り雀(したきりすずめ)』 ―富山県― 昔があったと。あるところに爺と婆があったと。 ある日、爺は山へ柴刈りに行った。爺が弁当を木の枝につるしておいたら、雀が来て弁当を喰うて、そこへ寝てしもた。 爺は雀をとらえて家に帰り、「おちょん」と名付けて、大した可愛がりようだ。 そんなある日、爺は婆と雀を家にのこして山へ柴刈りに行ったと。婆は糊(のり)を煮ておったが、そのうち、雀に、 「川へ洗濯をしに行くから、隣の猫になめられんように番をしとれ」 というて、出掛けたと。 雀は腹がへっていたので、その糊をなめてしまった。 やがて、婆が川から帰って来て見たら、糊がない。 「おちょん、糊はどうした」 と聞くと、雀は、 「隣の猫がなめた」 という。婆が隣の猫を見ると、口のまわりには糊がついておらず、雀の舌を見たら糊が着いておった。婆はおちょんの舌を切って放したと。 爺が山から戻ってきたら、おちょんがいない。婆に「おちょんはどうした」と聞いた。 「糊を煮ておいたら、川へ行っとる間に喰うたので、腹ぁ立って、舌を切って放した」 というた。爺は舌を切られたおちょんが可哀そうで捜しに行ったと。 おちょん雀はどっち行った 舌切り雀はどっち行った やれ かわいや かわいやな そういいながら行くが行くが行くと、牛洗いがいたと。 「牛洗いどん、牛洗いどん、ここを舌切り雀が行かなかったかや」 「おお、行ったは行ったけんど、牛の洗い汁お父(とと)の御器(ごき)に十三杯、お嬶(かか)の御器に十三杯吸うたら教えてやる」 爺は飲んだと。そしたら牛洗いが、 「この下へ行くと、馬洗いがおるからそれへ聞け」 と教えてくれた。爺がまた、 おちょん雀はどっち行った 舌切り雀はどっち行った やれ かわいや かわいやな そういいながら行くが行くが行くと、馬洗いがいたと。 「馬洗いどん、馬洗いどん。ここを舌切り雀が行かなかったかや」 「おお、行ったは行ったけんど、馬の洗い汁お父の御器に十三杯、お嬶の御器に十三杯吸うたら教えてやる」 爺は飲んだと。そしたら馬洗いが、 「この下へ行くと菜洗い(なあらい)がおるから、それへ聞け」 と教えてくれた。爺がまた、 おちょん雀はどっち行った 舌切り雀はどっち行った やれ かわいや かわいやな そういいながら行くが行くが行くと、菜洗いがいたと。 「菜洗いどん、菜洗いどん。ここを舌切り雀が行かなかったかや」 「おお、行ったは行ったけんど、菜っぱの洗い汁お父の御器に十三杯、お嬶の御器に十三杯吸うたら教えてやる」 爺は飲んだと。そしたら菜洗いが、 「この下へ行くと広い竹薮(たけやぶ)があるから、そこへ行くと赤い前掛けをして、赤いたすきをかけて、米刈りしとる」 と教えてくれた。 おちょん雀はどっち行った 舌切り雀はどっち行った やれ かわいや かわいやな そういいながら行くが行くが行くと、広い竹薮があった。なお行くと家があった。戸を叩くと「爺か婆か」と聞かれた。「爺じゃ、爺じゃ」というたら、「爺なら早う入れ」という。 爺が家の中へ入ると、おちょんがいた。 「おお、お前ここにおったかい。うちの婆、お前の舌切ったで、爺あやまりに来たわい」 「あやまりなんぞに来てくっさらいでもええのに、そんでもまあ、爺、よく来てくっさった」 いうて、黄金(こがね)のお膳に黄金の箸、白いごはんに魚(とと)そえてご馳走をしてくれた。帰りぎわに、 「爺、重いつづらがええか、軽いつづらがええか」 と聞くから、 「俺は年寄りじゃから、軽いのをおくれ」 というと、爺に軽いつづらを背負(しょ)わせて、 「爺、どこででもひろげんと、家へ行ってひろげれ」 というた。爺、家に帰ってひろげたら、つづらには大判やら小判やらが一杯入っていたと。 爺が喜んでいると婆は、 「俺も貰(もろ)うてくる」 というて行ったと。舌切り雀のお宿へ行って戸を叩くと、「爺か婆か」と聞かれた。「婆じゃ婆じゃ」というたら「婆なら早う入れ」という。 婆が家の中に入ると、おちょんがいた。 おちょんは厠(かわや)の板をお膳にし、垣根の枝を箸にし、砂をとってきて飯(まま)にして出したと。帰りぎわに、 「婆、重いつづらがええか、軽いつづらがええか」 と聞くから、婆は重いつづらをくれというた。 婆に重いつづらを背負わせて、 「婆、どこででもひろげんと、家へ行ってひろげれ」 というた。 婆は見とうて、見とうて、とちゅうであけてみたと。そしたらなんと、つづらの中から蛇やら百足(むかで)やら蝮(まむし)やらが、ぞろめかして出てきて、婆を刺し殺してしもうたと。 語っても候(そうろう)語らいでも候
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3-26『猫又(ねこまた)』
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2011-11-22
3-26『猫又(ねこまた)』 ―秋田県― 猫ってのは古くなると猫又という化け猫になるっちゅな。 猫又になると、じゃけんにしていた飼い主には祟(たた)るというし、可愛がってくれた飼い主には祟るようになる前にいつの間にかいなくなるらしい。 むかし、ある家に年をとった猫が飼われていたと。 何分(なにぶん)年も年なので髭(ひげ)も白くなって、いっつも居眠りしているのだと。 ある日、その猫の様子がいつもと違うようになった。 いつもは家の人の間にはさまって、居眠りばかりしていたのに、すうっと家を抜け出して真夜中になっても戻って来ないことが多くなったと。 それが毎晩つづくようになったので、家の親父がある晩、こっそり猫のあとをつけたと。 そしたら猫は一軒の破れ空家に入って行った。 親父が板の割れ目から覗き見て、驚いた。 家の中には灯火(あかり)がないはずなのに物がはっきり見える。その内、家の中に置き捨てられてあった道具がヒョイ、ヒョイと動き出した。 あっちから古箕(ふるみ)、こっちから古茶釜(ふるちゃがま) 向うから古笊(ふるざる)、そっちから古徳利(ふるどっくり) という具合に茶の間に集まってきて、 古箕に古笊、古茶釜 徳利 徳利 古徳利だぁ って、踊りはじめたと。親父は、 「おら家(え)の猫ァ、どこに居るやら」 って、よおっく見たら、古棚の上にちょこんと座って、前足上げたり下げたりしている。 古道具たちは、猫の前足の通りにはねたり横に行ったり、宙返りする。 親父は、 「家(うち)の猫、いつの間にあんな大した術おぼえたんだ。やぁ、それにしても道具たちァ楽しそうに踊っているなぁ。おれもひとつまざるべ」 って、そこに落ちていた杓子(しゃくし)を持って、 しゃくし、しゃくし、古杓子だぁ って、茶の間に踊り入ったと。 そしたら、道具たちと一緒に踊るか踊らないうちに、賑やかな踊りが、ぱたっと止んで家の中も真っ暗になったと。 親父はびっくりして、手さぐり、足さぐりで出口を探し、外へ出て、息せき切って家に戻ったと。 その晩から猫はふっつり家に戻って来なかったと。 どっとはれ。
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3-25『蟻(あり)と鳩(はと)』
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2011-11-22
3-25『蟻(あり)と鳩(はと)』 むかし、あるところに蟻と鳩がおった。 蟻は地べたを歩きまわり、鳩は木の枝にとまって羽を休ませていたと。 そしたら、風がピューと吹いて、地べたの蟻が吹き飛んだ。池の中へ落ちたと。 蟻が溺(おぼ)れてもがいていたら、鳩がこのありさまを見ていて、 「待ってろ、待ってろ、今、たすけてやる」 と言って、木の葉を一枚くわえて飛び立ち、蟻のところへ落としてやった。 苦しんでいた蟻は、必死になってその葉へはい上がったと。 木の葉は風に吹き寄せられて、岸についた。 地べたに戻った蟻は、ほっとしたと。 「鳩どん、鳩どん、おかげで命がたすかった。いつか、きっと恩返しをするから」 「なぁに気にしなくていいよ。それより、せっかく命拾いをしたんだ。今度は気を付けなよ」 鳩は羽ばたいてどこかに行き、蟻も家に帰ったと。 しばらくたったある日のこと。蟻が鳩のことを思いながら歩いていたら、一人の鉄砲撃ちが何かを狙っているところに出会った。 鉄砲の狙っている先を見た蟻はびっくりした。何と、この間大事な命を助けてくれた、あの鳩どんが狙われていた。 「こりゃ一大事だ。この鉄砲撃ちめが、俺の命の恩人を、なにすっだ」 蟻は鉄砲撃ちの足にはい上ったと。 鉄砲撃ちは気がつかない。蟻は、 「この、この。この鉄砲撃ちめ、足元見ろ。これでどうだ」 と言って、鉄砲撃ちの足に、思いっきり咬(か)みついた。 鳩を狙って、いままさに引きがねを引こうとしていた鉄砲撃ちは、チクリという、蟻の仕業(しわざ)に気をとられ、はずみで狙いがそれたと。 ズドンと飛び出た弾は鳩には当らないで、枝の葉を散らしただけだったと。 鳩は九死に一生を得(う)ることが出来、蟻も恩返しが出来たと喜んだそうな。 めでたし、めでたし。
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3-24『たなばた女房(にょうぼう)』
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2011-11-22
3-24『たなばた女房(にょうぼう)』 ―高知県― 昔、ある山の村で、作物(さくもつ)を荒(あ)らしまくった狐(きつね)が、山狩(やまが)りにあって逃(に)げ場(ば)を失い、炭焼(すみや)き小五郎(こごろう)の山小屋に飛び込んで隠(かく)れとったと。 小五郎が戻(もど)って、ガラリ戸を開けたら狐が一匹(いっぴき)寝(ね)とったので、こりゃ、とおこったと。 そしたら狐は、 「小五郎さん、今日のことはきっとお礼をしますから、見(み)逃(の)がして下さい」 といいながら、外へ跳(と)び出して行った。 何日かして狐がやってきたと。そして、 「小五郎さん、お嫁(よめ)さんをお世話(せわ)したいがどうじゃろう。このごろ谷の川へ、天上(てんじょう)からたなばた女郎(じょろう)が水浴びに来とる。脱いだ緋(ひ)の衣(ころも)をとっておくのです。そしたら、きっとええことになりますから」 という。 次の日、小五郎が水音(みずおと)のする谷川の方へ近寄って行くと、木の枝にきれいなきれいな緋の衣が掛かっていた。こっそり懐(ふところ)に入れて帰ると、小屋の裏の柱の穴の中へ隠したと。 すると、その日の暮れ方(くれかた)になって、たなばた女郎がやってきた。 「天上(てんじょう)に戻る緋の衣を失(うしの)うて、もうどこへも行くあてがありません。どうぞ、ここへ置いて下さいませ」 小五郎は一目(ひとめ)見るなり気に入って、家の中へ招(しょう)じ入れたと。 たなばた女郎はいつの間にかたなばた女房(にょうぼう)になったと。 やがて、小五郎との間に子が出来て、その子が三歳になった。女房は可愛いいし、子供はめんこいし、小五郎は毎日が嬉しくてならない。朝、顔を洗うとすぐに小屋の裏へ行って、ぱんぱんと掌(て)を打っては、何やら感謝の唱(とな)えごとをする毎日だと。 ある日、たなばた女房は三歳の子に、 「父(とと)は毎日、何を拝(おが)んでいるのだろうねぇ」 というた。そしたら、小五郎が山仕事に出かけたあとで、その子がたなばた女房の手を引いて小屋の裏の柱の穴を指差(ゆびさ)した。 たなばた女房が穴の中を覗(のぞ)いて見ると、緋の衣が押し込まれてあった。とり出して我が子と二人で身にまとい、そのまま天上へ昇って行ったと。 夕方、小五郎が戻ってみると、家には女房も子供もおらん。あわてて柱の穴を見ると、緋の衣がなくなっておった。がっくりして、 「たなばた女房もかわゆくてならんが、わしゃ子供のことがよう忘れられん」 と毎日泣いとったと。 そうしたある日、前に助けた狐がやってきて、 「鳥の羽がいをこしらえたら、おれが天上へ吹き上げてあげます」 というた。 小五郎は早速大きな鳥の羽がいを作って、狐に吹き上げてもろうた。ふあふあと大空に舞い上がり、雲の峰も越えて天上に昇って行ったと。 けれども、何分天上は初めてのことだから西も東もわからん。おまけに腹が減ってたまらん。何気なく下を見たら、妙なことに井戸が見えて、その脇に柿の木があった。 小五郎は柿の木の枝に取りついて、赤く熟れた実をもいでは食べたと。 すると、どこかから子供が走り出てきて、井戸の水鏡(みずかがみ)をのぞいて、あっと声をあげ、走り帰りながら、 「父(とと)さまがきとる」 とさけんだ。 その声を聴きつけたたなばた女房も走り出てきて、親子三人が喜びあったと。 たなばた女房は、小五郎に、 「母神(ははがみ)さまがいろいろ難しい仕事をいいつけると思いますが、私が助けますから、怒らないで、どうぞいつまでもおって下さい」 と頼んだ。小五郎は、 「三人で暮らせるのなら、文句はいわん」 というて、天上に居つくことにしたと。 次の日、母神さまは、早速に、 「山奥にある大岩を、お前ひとりの力で担いで来い」 といいつけた。小五郎が弱りきっていると、たなばた女房が、 「奥の山の大岩というのは実は張り子で出来ているの。母神さまの前だけ重そうな身振りで戻って来なされ」 と教えてくれた。小五郎は張り子の大岩を、いかにも重そうに担いで戻ったと。そしたら、また、 「あしたは奥山に大きな林があるから、その林の木をみんな伐(き)り倒して、牛につけて引いて来なさい」 と、仕事をいいつけられた。 小五郎が弱っていると、たなばた女房が、 「母神さまはきつい神さまだから、気にせんとって下され。明日は私が手伝いに行きますから、それまで林で安気(あんき)に待ってて下さい」 というた。 あくる日、小五郎が山で休んでいると、たなばた女房が弁当を持って来てくれて、大きな斧をちょいと振り回すと、山の林の立ち木が、みなぱたぱたと倒れた。 小五郎がたくさんの木をひかせて戻ると、 「明日は粟(あわ)二俵半を牛につけて、山の畑いっぱいに放り播(ま)きしなさい」 と、また仕事をいいつけた。 小五郎が弱っていると、たなばた女房が、 「母神さまのいうた二俵半の粟は、播かないで畑の隅へ埋めておいて下さい」 という。 そこで、あくる日、山の畑へ二俵半の粟を運ぶと、そのまま畑の隅に埋めておいて、日暮れに戻ったと。そしたら、母神さまは、 「今日山の畑に播いた粟の種を、明日一粒残さず拾うて来なさい」 というた。 今度は小五郎も安心だ。二俵半の粟の種を掘り出すと、牛につけ、長いこと休んで日暮れに戻ったと。母神さまは機嫌がよかった。 「今までで、お前ほど仕事の出来た聟(むこ)はないわ」 と誉めたと。が、母神さまは、今度は小五郎の口を試そうと考えて、 「瓜畑の瓜がカラスに食われて困っとる。明日は瓜畑の守り番に行きなさい」 というた。 その晩、たなばた女房が心配して、 「私が弁当を持って行くまでは、どんなにのどがかわいても、瓜だけには手をつけないで下さいね」 と、何遍(なんべん)も何遍も小五郎に言いきかせたと。 あくる日、瓜畑で守り番をしていたら、急にのどがかわいて、のどがかわいて、たまらんようになった。辛抱が出来なくなった小五郎は、あれほど女房に言われていたのに、ひとつ位ならよかろうと、瓜をひとつもいで割ったと。そしたらなんと、それが雨壺(あまつぼ)だったと。 たなばた女房が、心配してかけつけたときには、もう、瓜の水が川になって流れ出し、その川中で、小五郎が流されまいとして懸命にこらえているところだった。 それを見てとったたなばた女房は、 「あなたぁ、もう一寸(ちょっと)の間(ま)こらえとってよぉ」 いいおいて、家に走り帰り、七麻桶半(ななおおけはん)の麻(お)を績(う)み、短冊のついた竹に結わえて流したと。 が、せっかくの麻も小五郎の手には届かなかったと。 そこでたなばた女房は、声をかぎりに、 「月の七日(なぬか)には、きっと会いましょう」 と叫んだと。 ところが、小五郎はそれを七月七日と聴き違えてしまった。 それからは、一年のうちで七月七日だけにしか会えなくなったと。 むかしまっこう猿まっこう。
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3-23『食わず女房(にょうぼう)』
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2011-11-22
3-23『食わず女房(にょうぼう)』 ―群馬県― むかし、むかし、あったとさ。 あるところに吝(けち)な男がいてあった。いつも 「飯(まま)食わねで、仕事をうんとする嬶(かかあ)欲しい」 というていた。 あるとき、一人の女が男の家に訪ねてきた。 「おれ、飯食わねで仕事ばかりだ。嬶にしてくりょ」 という。男は喜んで嬶にしたと。 嬶はよく働いた。飯も食うてる風(ふう)でもない。 「ほんとにええ嬶じゃ」 といよいよ嬉しくなって仕事にせい出していたと。 が、七日も過ぎ、十日目も来ようかという頃になって、米俵が少なくなっているのに気がついた。男は嬶に、 「おめ、米俵、どこかへやったか」 と聞いたら、 「おら、知んない」 という。味噌樽(みそだる)を調べたら、それと分かるほど減っている。あんまり変だから、次の朝、仕事に行くふりをして、梁(はり)に上って、隠れて嬶の様子を見ていたと。 そしたら嬶は、倉から米一俵かついできて、馬(ま)ぐさ煮る釜で一度にみな炊いた。大っきな鍋に味噌をドサッと入れて味噌汁こしらえた。 戸板(といた)をはずして釜のそばへ置き、塩一升用意すると、米一俵分の握り飯こしらえて戸板に山のように積んでいった。 そんなに握ってどうするのかと、見ていたら、嬶は頭の髪の毛ほぐしはじめた。 そしたらなんと、頭のてっぺんがザックリ割れて、大っきな口があいた。 嬶はその口へ、握り飯をポイポイ、ポイポイ投げ込んでは、大鍋の味噌汁をひしゃくですくって、ザァザァそそいでいく。握り飯も味噌汁も、あっという間に、頭の口に、みなにみこまれてしまったと。 男は、おっかなくなって、こんな化物、一日とて家に置かれないと、晩方、仕事から帰ったような顔して、 「今帰った」 というた。嬶も、嬶の顔して 「あや、おかえりなさい」 というた。男は、いよいよ、えらいもんを女房にしたと思うた。男が、 「嬶、嬶、今日おれァ山さ行ったれば、山の神さまいてあってな、『お前(め)の嬶ええ嬶だども、家さ置いとくと障(さわり)あるから、今のうちに出せ』と云われた。こういう御託宣(ごたくせん)だから、お前悪いけど出て行って呉(け)れ」 というたら、嬶は、 「出て行けって云うんじゃ出て行きもするが、土産に風呂桶(ふろおけ)と縄(なわ)ァ一巻(ひとまき)もらいたい」 というた。 男が仕度をしてやると、嬶は、 「この桶ァ乾(かわ)いて底が抜けちゃいけないから、お前、ちょっくら入って見てくりょ」 という。男が入ると、今度は、しゃがんでみてくりょという。男がしゃがんでみせると、嬶は、風呂桶に縄をかけて、男が入ったまんま担ぎあげて、山さ、ぐえらぐえら駈(か)けあがっていった。嬶は鬼婆(おにばば)であったと。 男が、怖いじゃぁ、怖いじゃぁ、思うて身をすくめていたら、鬼婆はひと休みした。 そしたら、ちょうど上から木の枝がぶらさがっていたので、それにつかまって、そおっと逃げたと。 やがて、鬼婆、風呂桶担いで、また、登っていった。 「休んだら軽いなぁ、休んだら軽いなぁ」 と唄いながら登っていって、やがて山のてっぺんさついて、 「みんな来ォやぁい、いい肴(さかな)持って来たァ」 と呼ばった。仲間が、ワサワサ集まってきた。 鬼どもが風呂桶をのぞいたら、何もない。 「やあ、そんじゃ、途ちゅうで逃げられたか」 というて、鬼婆、あわてて元の道を捜しに戻った。男はじきに見つかったと。 あわやつかまる、というとき、男は蓬(よもぎ)のいっぱい生(は)えている中に跳(と)び込んだ。 そしたら鬼婆、その草に触(さ)わると身がとける、ゆうて、蓬の中に入って来(こ)ない。 鬼婆が帰って行ったので、男は走って山を下りた。そしたら、また追っかけてきた。 あわやつかまる、というとき男が跳び込んだのが菖蒲(しょうぶ)がいっぱい生えている中(なか)だった。 そしたら鬼婆は刀がこわい、刀がこわい、というて、菖蒲の中に入ってこない。 菖蒲の葉が刀に見えるらしいのだと。 鬼婆、とうとうあきらめて、山へ帰って行った。男は無事に助かって家へ帰れたと。 ちょうどその日が五月五日だったので、五月節句には魔除(まよ)けに屋根へ蓬や菖蒲をさすようになったそうな。 いちがさかえた。
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3-22『桑原(くわばら)桑原桑原』
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2011-11-22
3-22『桑原(くわばら)桑原桑原』 ―山形県― むかし、むかし、あったと。 ある春先(はるさき)のうららかな日。 縁側(えんがわ)で婆(ばあ)が爺(じい)の足の爪(つめ)を切ってやり、そばでは猫が大(おお)あくびだ。 空の雲の上でも、そっち眺(なが)め、こっち眺めしていた雷(かみなり)さま、あんまり温(ぬく)くて気持ちいいもんだから、つい、こっくりこっくり、鼻ちょうちんだと。 はっとして目ぇあいたら、そのとたんに足滑らせて雲からおっ落(こち)た。 落ちて、落ちて、落ちたところが、井戸の中だった。 ドンガラリン、バッシャーン と、おっきな、おっきな音たてた。 爪切り終えて、茶も飲みおえて、うっつらうっつらしてた爺と婆、それと猫、きもとばして縁側から転(ころ)げ落(お)ちた。 「アワワ、アワワ」 「イデ、痛デェー。ば、婆さん、何があった」 「お、おら、まんだドキドキして・・・しゃべらんねぇ」 「何か、落ちた音でねがったかや」 「ほだ」 「水の音も聴こえだな」 「ほだ」 「あれゃ、婆さん、あれ見ろ。井戸の屋根、穴ぁ開(あ)いだ」 爺(じい)、地(じ)べたに座ったまんま指(ゆび)差(さ)したら、井戸の中から声がした。 「助けてけれぇー」 婆、あわてて爺の背中のかげにかくれた。 「なんの声だべ、爺さん」 「わがんねぇ、井戸の中みてだな」 「ほだ。だれか落ちたべか」 爺と婆、二人でおそるおそる井戸へ行き、なかを覗(のぞ)いてびっくりした。 「なんだ、ほこさ落(お)っだなぁ、雷さまでないか」 「ほだ、何とか助けてけらっしゃい」 「雷さまだら、自分であがれるだねか」 「あがんべと思ったげんど、ほれ、太鼓は背負(しょ)ってる。風(かぜ)出す袋は背負ってる。雨降らせるジョロは背負ってる。それにへそ抜いだなの背負ってるもんだから、なんだって上(あ)がらんね。」 「ケガァ無(ね)がったか」 「雷ァ、がんじょうに出来てるがら、打ち身だけだった」 ほうか、ほんでは、と爺と婆とで雷さまを上げんべとしたが、あがんねがった。 隣近所(となりきんじょ)みな呼んできて、はじめに太鼓あげて、風の袋あげて、雨ふらせるジョロあげて、ヘソ袋あげて、やっと雷さま上(あが)った。 「いやいや、御世話になった。助けて呉(け)たみんなの苗字(みょうじ)教えてけらっしゃい」 「隣近所はみな一族郎党(いちぞくろうとう)で、おらだち一族は桑原ていうなだ」 「ああ、ほうだったか。これからは、もしおれが、そっちこっちでやかましくしたとき、桑原って三回言うてくれれば、ここさ来ねがら」 こう約束して、雷さま、桑畑(くわばたけ)へ行った。 空ぁ見上げていだっけぁ、空からクモの糸みたいな一条(いちじょう)の光(ひかり)が降(お)りてきて、雷さま、それをつかんでのぼって行った。 爺と婆と一族郎党は、雷が鳴ると桑原桑原桑原ってとなえて、雷さまに遠くへ行ってもらっていだった。 昔に、こんなことがあったから、今でも雷が鳴っど、クワバラ、クワバラ、クワバラって三べん言うんだと。 どんびんからりん すっからりん。
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3-21『鬼(おに)ガ島(しま)の目一(めいち)』
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2011-11-22
3-21『鬼(おに)ガ島(しま)の目一(めいち)』 ―種が島― むかし、ある村に両親にさきだたれた娘が一人で暮らしておった。 あるとき、娘は山に椎(しい)の実を拾いに行った。 その頃は鬼がいて、鬼ガ島から赤鬼がカゴをかついで娘を盗みに来ていた。 間の悪いことに、娘は山でその鬼に見つかり、あっという間もなく、カゴの中に押し込められてしもうたと。 娘はカゴの中で、叫んだりもがいたりして助けを求めたが、鬼の姿があんまり恐ろしゅうて、誰ひとり、手出しするものはなかったと。 鬼は、娘を入れたカゴを軽々と背負って海辺に行き、つないでおいた黒舟に乗せた。 鬼はその舟についているネジを巻いた。その舟はネジをかけると、千里も走ることが出来る舟だったと。舟は、あっという間に鬼ガ島に着いた。 娘は鬼たちから大層大事にされ、毎日を、まるで女王のように過したと。 しかし、日がたつにつれて、だんだん故郷(ふるさと)のことが恋しくなった。つい海辺に出ては、沖の方をながめていたと。 が、そのうち、鬼と娘との間に男の子が生まれた。 娘は生まれた子を見てびっくりした。目が一つしかなかったと。しかし、生まれたからには、と心をきめて、娘は母親として、その男の子を大事に大事に育て、名前を目一とつけた。 目一は病気ひとつせずに、すくすくと大きくなり、それに並はずれて頭がよくて、何でも自分でやる子だったと。また目一は、母親の心を読むことも出来る子であったと。 ときどき母親が海辺へ行っては、はるかかなたを見ているのを、さみしく思うこともあった。 ある日、目一は、母と子二人のとき、 「お母さんの国へ帰ろう」 というた。母は、目一に心を悟られたのを恥じ、 「お前にまで心配をかけていたんだね。ごめんよ。でも、もういいの、お母さんは、お前とここで暮らしているのが一番いいの」 というた。 それからまたしばらく経ったある日、目一が 「お母さんの国へ帰ろう」 というた。 「ありがとう目一、でもね、お前はお母さんの故郷がどんなところか知らないから、そう言ってくれるのヨ。帰ったら、お前にもいいことはないわ。故郷はときどき思い出すだけでいいの。だから目一や、この話はもうなしにしようね」 というた。 それから何年も経ち、目一は立派な若者に成長した。鬼の仲間うちでは一番の知恵者でゆくゆくは頭目になるのではないかといわれはじめたと。 そんなある日、目一は、 「お母さん、お母さんの国へ一度は行って見てきたい」 というた。母は目一がしっかりした若者になって、自分の考えでそう言っているのに気づいて、とうとうその気になったと。 それからは、鬼たちに気づかれないように準備にとりかかった。食べ物を揃(そろ)えたり、着物に金銀サンゴをぬい込んだりしたと。 鬼たちの留守のとき、母と目一は海岸に出た。黒舟が三艘(さんそう)浮かんでいた。ひとつの舟はネジを巻くと千里はしり、次の舟は万里(ばんり)はしり、その次の舟は、もっと遠くまで走る舟だと。 二人は三番目の舟に乗りネジを巻いた。あっという間に母の国の海辺に着いたと。 さて、母の国へ帰った二人がどうなったかは伝わっていない。 別のお話では、目ひとつが大阪で見せ物になっているのがあるので、もしかしたら、それが目一の、その後の姿かも知れんし、もしかしたら、それは別の鬼と別の娘との間に生まれた別の子の姿かも知れない。 そいぎいのむかしこっこ。
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3-20『鶯(うぐいす)の内裏(だいり)』
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2011-11-22
3-20『鶯(うぐいす)の内裏(だいり)』 ―山形県― 昔あったけど。 昔あるところにな、お茶屋あったけど。 きれいだ姉さんが毎朝のように五文価(ごもんあたい)ずつお茶買いに来るじょんな。 番頭は不思議に思て、あるとき、そのあとさついて行ってみだ。長い野原を通って林の中にはいって行ったれば、りっぱな御殿があったけど。 「こんにちは、こんにちは」 というたらな、毎日来る姉さんが一人いてお茶飲んでいたけど。 「おやおや番頭さん、よくおいでになった。早くお上りなさい」 て、お菓子だの餅だの、どっさりご馳走してくれたけど。しばらくして、 「ちょっと用達(ようたし)に出るから、番頭さんは留守居して遊んでいてくれ」 と頼んで、出て行ったど。出て行くときな、次の座敷は十二座敷だから決して見てはならぬと、かたく断わって行ったど。 見るなと言われれば、なお見たい。番頭がこっそり次の間を開けて見たればな、お正月の座敷であったけど。床の間にはな、松竹梅を飾り、鏡餅だの海老だの、昆布だの橙(だいだい)だの上(あ)げったけど。 次の間は二月の座敷でな、初午(はつうま)でな、お稲荷さんの赤い鳥居がならんで大勢お参りしていて、いろいろの玩具(おもちゃ)売る大道店(だいどうみせ)でいっぱいだけど。 その次の間は三月の座敷でな、お雛(ひな)さんだけど。お内裏さんだの五人ばやしだの鳩ぽっぽだの狗子(いぬこ)だの馬子だの、おもしろいもの尽(づく)しだじょうん。 次の間はな、四月の座敷でな、お釈迦さんだじょうん。花御堂あってな甘茶の中さ、天にも我ひとりてな、おぼこのお釈迦さんが立ってござらしたけど。 その次はな、五月の座敷でな、端午(たんご)の節句でな、鯉幟(こいのぼ)りがたんと並んであったけど。鎧(よろい)冑(かぶと)だの、鋒(ほこ)だの長山刀だの、馬連だの小旗だの武者人形だの、飾って、笹巻だのうまい物だのいっぱいあったけど。 その次は六月の座敷でな、歯堅めで氷餅食っていたけど。そうしてお山参りの人たちは梵天(ぼんてん)の大きなのかづいで毎日通(とお)って歩ぐけど。 その次の間は七月の座敷でな、七夕さんで、青竹さ五色金銀の短冊つるして、桃だの瓜だの供(そな)えてお星さんのお祭りだけど。それから十三日お盆でな、秋草(ぼん)の花だのお供物だの持って、ご先祖さんのお墓参りだけど。あなたの村でもこなたの町でも鎮守さんのお祭りでドンドコ、ドンドコ太鼓の音がするやら、獅子舞だのお芝居だの番楽舞(ばんがくまい)だので大騒ぎだけど。 その次の間は八月でな、月見の座敷だけど。団子だのぼた餅だのススキだの飾ってな、こおろぎ籠など釣るして、里芋のお汁(つけ)で酒飲みしてたけど。 その次の九月の座敷はな、刈り入れ時だから、百姓たちはてんてこ舞いの仕事だけど。十三夜はあどの明月で、栗ゆでだの青豆だのご馳走あったけど。 その次は十月の座敷でな、遠い山々は白い頭巾(ずきん)かぶって、庭の木の葉は、ひらひら、ひらひらと風に吹っ飛ばされていたけど。村々の家では、新しい餅で皆(みんな)腹ばんばんだけど。 その次は十一月の座敷でな、霜月(しもづき)の恵比寿講だ。鮭の魚はうんと獲(と)れて、お振舞いだけど。そしてな、毎日毎日雪ばり降るけど。 その次は十二月の座敷でな、師走で正月の仕度に餅搗(つ)いたり、正月肴(さかな)買ったり、煤払(すすはら)いしたりで、うんとせわしいから、子供たちはみんな邪魔にされて、部屋の炬燵(こたつ)さはいって昔語りして遊んでいたけど。 座敷をみな見たらそのときな、ホーホケキョと啼(な)いたから番頭な、びっくりして周囲(あたり)を見たら、何んにも無くて、もとの野原であったけど。 これは鶯の内裏というところで、容易(ようい)に人の行かれないところだけど。 どんぺからっこねっけど。
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3-19『皿盛り山(さらもりやま)』
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2011-11-22
3-19『皿盛り山(さらもりやま)』 ―兵庫県― むかしむかし、伯耆(ほうき)の国(くに)、今の鳥取県(とっとりけん)の御領内(ごりょうない)のある山の中に、一軒の家(いえ)があった。 山家(やまが)なので貧しくはあったが、父と母と小(こ)んまい娘とが睦(むつ)まじく暮らしておった。 ところが、母親は急の病(やまい)であっけなく死んでしもうたと。 父親は小んまい娘をかかえて、何にかににつけて困ることが多くなった。 同じ頃、麓(ふもと)の村にも、夫を亡くした女房がもっと小んまい娘をかかえて途方に暮れていた。 おたがい困っちる者同士じゃ、ゆうて、仲立ちする人がいて、その女房と娘をこの山家に迎え入れたと。 山家の小んまい娘は、もっと小んまい妹が出来たのを喜んだ。 寂しい山家に、新(あた)らしい暮らしが始まった。 そうして、二人の娘が育つにつれて、継子である姉娘(あねむすめ)にはつらい日々になっていった。 継母は継子の姉にはきつい仕事を言いつけ、実の娘の妹には楽な用事をさせるようになった。それでも姉娘は継母によく仕(つか)え、妹にはいつも優しかったと。 二人は年頃の娘になった。 ある日、お城の若様が家来を連れて狩に来て、この山家でひと休みされた。 継母は、実の娘の妹に一張羅(いっちょうら)の着物を着せて、若様にお茶を持って行かせ、継子の姉には汚れた仕事着のまま、家来衆にお茶を出させた。 若様と家来衆は「馳走(ちそう)になった」いうて、お城へ帰られたと。 それからしばらくして、お城からお遣いの立派な侍衆がこの山家に来て、 「姉娘を若殿様の奥方に迎えたい」 というた。 びっくりした継母は、すぐに実の娘の妹を着飾らして、 「これがお望みの姉娘です」 というて、出した。 見ると、母親に似て、器量も悪いし、意地悪そうな顔をしているから、すぐに嘘を見抜いた。 「あ、いやいや、これは失礼つかまつった。あらためて妹娘の方を」 というたら、継母は、 「あれは、ぐずで気がきかずだ」 というて、むずかるふうだ。 遣いの侍は、「では、こうしよう」というて、かまどから塩瓶(しおがめ)を持って来て、お盆の上に皿を乗せ、皿の上に塩を盛り、その上に松の小枝を挿(さ)した。 「これを見て、歌を一首作ってもらう。その上でどちらの娘か決めよう」 継母はいやとは言えない。継子の姉も呼んだと。 遣いの侍が姉娘を見ると、器量もいいし、気立てもよさげだし、その上賢そうだ。一目見て、若殿様が見染めるのもむりがない、とうなったと。 「まずは、そなたから」 と、実の娘の妹にうながすと、妹は、しばらく考えて、 「盆の上に皿、皿の上に塩、塩の上に松」 というた。 「次は、そなた」 と、継子の姉をうながすと、姉は、 「盆皿(ぼんさら)や 皿(さら)盛(も)り山(やま)に雪ふりて 雪を根として そだつ松かな」 と、詠んだ。遣いの侍は、 「こちらを奥方にお迎えする」 というて、継子の姉を駕籠(かご)に乗せて、早や、立ち去りかけたと。 あてがはずれて怒った継母が、門口(かどぐち)に置いてあった箒(ほうき)を取って駕籠めがけて投げつけたら、駕籠の中から姉が、 「いつまでも 親というのはありがたや 伯耆(ほうき)の国まで みなもろた」 と、歌詠みしたと。 遣いの侍は「勝負あった」いうて、カラカラ笑うた。 継子の姉は、伯耆の国の若殿様の奥方になって、一生安楽に暮らしたと。 そうだといや。
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3-18『猿(さる)の生肝(いきぎも)』
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2011-11-22
3-18『猿(さる)の生肝(いきぎも)』 ―鹿児島県― 昔、竜宮の神さまのひとり娘、乙姫(おとひめ)が病気になったので、法者(ほうじゃ)に占ってもらったと。 法者はムニャラ、ムニャラ占いをやって、 「この病気は、猿の生肝をさしあげなければ、なおる見込みがありません」というた。 竜宮の神さまは、亀(かめ)を使いに立てて遠い国へ猿をさがしにやった。 亀はさがしにさがして、ようやく、とある島の海辺の岩の上で、海のかなたをながめていた猿を見つけたと。 「猿どの猿どの。お前は竜宮へ行って見たくはないかい」 「いちどは見物してえもんだと思うてはいる」 「そんなら連れていってあげようか」 「ほんとかい、亀どん」 「ほんとさ。俺れの背中に抱きついておれば、竜宮までは目(ま)ばたきする間じゃ」 といわれて、猿は喜んで亀の背中に抱きついた。 亀が海の水をひとかきしたと思ったら、いつの間にか竜宮へついていたと。 竜宮では、たくさんのごちそうを出し、魚のきれいどころの舞いなども見せて、しばらくの間、猿を遊ばせたと。 ある日、蛸(たこ)と針河豚(はりふぐ)と猿とが酒を呑んでいたら、酒に酔った蛸と針河豚が、 「ほんとうは乙姫さまに、お前の生肝を差し上げることになっているんだ」 「そうだ。お前の命はながくはあるまいぞ。だから、さあ呑め、今のうちにたくさん呑んでおけ」 「いや、ゆかい、ゆかい」 というて、口をすべらしたと。 猿はゆかいどころでない。びっくりして、ただよりこわいものはないと思ったと。何とか逃げ出す算段をしなくては、と思案した。 「いやぁ、すまないことをした。亀どんに誘われたとき、実は肝をほしているときだったんだ。すぐに帰ると思ったものだから、ほしたままにしてきた」というた。 そしたら、竜宮の神さまもこれを聞いて、 「肝を島に忘れたとあれば致し方がない。早く行って、とって来なさい」 というて、また、亀と一緒に帰してやったと。 島に着くと猿は岩をつたって高い所へ行った。そして、 「やあやあ、俺れの生肝をとろうたぁ、とんでもねえやろうたちだ。生肝を忘れたぁなんぞ、まっかなうそ。第一、肝なんぞとりはずし出来るもんか。そおれ、これでもくらえー」 というて、大きな石を転がし落とした。石は亀の背中に当って、ひびが入ったと。亀の甲らは、これ以来、今だにひび紋様がついたままだと。 亀が竜宮に帰って神さまに報告したら、蛸と針河豚が告口(つげぐち)したことがわかって、その罰として、蛸は骨を抜かれ、針河豚はうちくだかれて、骨が外へばらばらになって飛び出し、いまのように針だらけになったそうな。 そしこんむかし。
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3-17『笠地蔵(かさじぞう)』
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2011-11-22
3-17『笠地蔵(かさじぞう)』 ―岩手県江刺郡― 昔、あるところに貧乏な夫婦があったと。 大晦日(おおみそか)が来たけれども、晩の年越(としこし)の仕度(したく)も出来ないので、女房が、 「いままでたんせいしてうんだ苧枷玉(おかせだま)を売って年越仕度をしてはどうでしょう」 というた。夫は苧枷玉を持って町へ出かけたと。 「苧かせや、苧かせや、苧かせはいらんか」 とふれながら町中(まちじゅう)を行ったり来たりした。が、だれひとり見向く者がなかったと。 暮れ方になって、もう帰ろう、と歩いていたら、向うから笠(かさ)売(う)りの爺さまが、 「笠や、笠や、笠はいらんか」 と売(う)り口上(こうじょう)をいいながら、やって来た。 「苧かせや、苧かせや」 「笠や、笠や」 二人は売り口上をいいながら、行きずりに互いの顔を見合ったと。 笠売りの爺さまが立ち止まって、 「苧枷玉やさん、売れたかね」 「いえ、売れません。笠やの爺さまは、売れましたかね」 「いや、いや、わしも一向に売れん」 と、疲れた顔でいうたと。夫は、 「これ以上歩きまわっても仕方ないので、このあたりで帰ろうと思うていたところです」 というたら、爺さまは、 「そうじゃのう。お若いの、お前はどこのご仁(じん)か知らぬが、今夜その売れない苧かせ玉を家に持ち帰ってもはじまるまい。どうじゃろ、わしのこの笠ととりかえっこすまいか。実のところ、わしも、売れない笠を今夜家に持ち返りたくないのじゃが」 というた。 それもそうだ、と思った夫は、苧かせと爺さまの笠とを取り替えたと。 その笠を持って、とぼりとぼり戻っていたら雪が降ってきた。雪はだんだん強く降って、とうとう吹雪になった。 野中の裸地蔵(はだかじぞう)のところまで来たら、吹雪が、地から舞い上がるようにうなり吹いた。 「この寒さに、雪の中に裸で立っていたら地蔵さまもさぞや寒かろう」 というて、夫は取り替えた笠を地蔵さまの頭にかぶせてやった。そして空手(からて)で家に帰ったと。 女房に、 「苧枷玉はとうとう売れなんだ。それで笠売り爺さまの笠と取り替えっこをしたが、帰り道で、野中の裸地蔵さまがあんまり寒げだったから、頭にかぶせて来た」 というた。そしたら女房は、 「笠を持って来ても、今夜の年越の足しにはならなかったのだから、せめてお地蔵さまにおあげして、よかったぁ」 というて、夫をなぐさめたと。 夫婦は年越のごちそうが作れなかったのでカユをすすって、早くに寝たと。 真夜中に何かの音で夫婦は目が覚めた。 耳をすますと、外はひどい吹雪の音がして、その吹雪の絶(た)え間(ま)絶え間から、ヨンサ、ヨンサと、物をかついでくる音が聞えてきた。だんだんその音が近づいて、どうやらこの家の方へ来る様子だ。 「はて、誰だろう、変だなぁ」 と二人が思案顔を見合わせていたら、 「暮(く)れ方(がた)のことはありがたかった」 と大きな声がして、誰かが戸口(とぐち)のところに、どさりと、なにか重い物を置くような音がした。 夫婦が起きてみると、戸口に大きな袋が置いてあった。そして、吹雪の中を、大きな裸地蔵さまがのんこのんこと歩いて行くのが見えた。 二人が袋を開けて見ると、なかには大判小判がザンザラリンと詰まってあったと。 いんつこ もんつこ さかえた。
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3-16『三日月(みかづき)の滝(たき)』
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2011-11-22
3-16『三日月(みかづき)の滝(たき)』 ―大分県玖珠郡― 昔、昔、今からおよそ千年もの昔のこと。 京の都に、清原朝臣正高(きよはらのあそんまさたか)という横笛(よこぶえ)の名人がおった。 正高は、笛の音色(ねいろ)を、清く澄ませるのも、甘く響かせるのも、野太(のぶと)く吠(ほ)えさせるのも、意のままにあやつれたと。調(しら)べも、あるときは、奥山(おくやま)の、木(こ)の葉草(はくさ)の上(うえ)を渡る微風(そよかぜ)のようにここちよく、あるときは、桜吹雪(さくらふぶき)とたわむれる風のように妖(あや)しく、またあるときは、大竹(おおだけ)をしならせ木々を唸(うな)らせる嵐のように荒々(あらあら)しく終わったりして、その音色と調べは、聴く者の心を、やさしくしたり、くるおしくしたり、せつないまでに懐かしくしたそうな。 正高は、ただ己れの心のままに吹いているだけだったが、夜ともなれば正高の屋敷のあたりに聴く人が集まって来て、「横笛(ふえ)の正高」という呼び名は日毎(ひごと)に高まった。宮中(きゅうちゅう)にも知れたと。 正高は、帝(みかど)に呼ばれて、宮中の宴(うたげ)の席で笛を吹くようになった。 ある日のこと、宮中勤めをするようになった正高が笛ならしをしていると、どこからともなく、その笛に合わせるように美しい琴(こと)の音(ね)が流れてきた。小松女院(こまつにょいん)という姫の奏(かな)でる琴だったと。 その日から、宮中では、笛と琴の音(おと)あわせが毎日のように聞かれるようになった。 いつしか二人は互に慕(した)い合う仲になったと。 ところが、これに気づかれた帝は、大層お怒(いか)りになられた。笛吹きの正高と、帝と血のつながりのある姫とでは、身分が違い過ぎるというのであった。 正高は豊後(ぶんご)の国、姫は因幡(いなば)の国へと、離ればなれに流されてしまったそうな。 幾年月(いくとしつき)かが過ぎた。 どうしても正高のことが忘れられない姫は、ある夜、ひそかに豊後の国へと旅立った。十一人の侍女(じじょ)とともに、険(けわ)しい山を越え、海を渡るその旅は、命をかけての旅であったと。 豊後の国、玖珠(くす)という所にたどり着いたのは、因幡を出てから百日余りもたった頃だった。みなみな身も心も疲れ果てて三日月の滝のほとりで休んでいた。するとそこへ、一人の年老いた木こりが通りかかった。侍女の一人が、 「あのう、もし…」 と、声をかけた。 「このあたりに、清原正高様というお方(かた)が住んでいると聞いて参ったのですが…」 「ああ、横笛(ふえ)の正高様かね。正高様なら、五、六年前からこん里に住んでおいでじゃが、今じゃ、里のあるじ、兼久様(かねひささま)の娘婿(むすめむこ)になっちょいなさるで」 これを聞いた姫をはじめ侍女たちは、言葉もなくたたずんだ。 命がけでやって来て、今、生きる望みが絶たれた姫は、よろよろと三日月の滝のふちに近寄ると、手を合わせて身を躍らせた。あとを追って、十一人の侍女たちも次々と滝壷へ身を投げた。誰も一声(ひとこえ)も発(はっ)しなかった。 年老いた木こりは、あまりの出来事に、棒立ちのまま、息を呑んで見つめていただけだった。 正高は、この木こりから知らされた。異変を知らせるジャンを鳴らさせ、村人達といきせききって三日月の滝へ行ったが、姫も侍女も、誰一人救かった者はいなかったと。 正高は姫とその侍女たちの霊を慰めるために山香(やまが)に寺を建てた。そして横笛(ふえ)を吹いた。 正高の耳には姫の琴の音(ね)が聴こえていた。その琴の音に合わせるように、澄んだ音で、甘く響く音で、野太く吠える音で吹いた。ここちよい調べから妖しい調べへ、突然変調して荒々しく吹いた。 村人たちは、その音色を調べに、正高と小松姫との、やさしく、くるおしく、せつない物語りを、まるで絵巻物(えまきもの)を見ているかのように感じて、涙を流した。 正高の建てたその寺は、正高寺(こうしょうじ)と呼ばれ、今も残っている。 三日月の滝のほとりには、嵐山神社(あらしやまじんじゃ)が建てられて、正高の横笛が大切に保存されているそうな。
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3-15『ちょうふく山の山姥(やまんば)』
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2011-11-22
3-15『ちょうふく山の山姥(やまんば)』 ―秋田県仙北郡― むがし、あったずもな。 ある所(どころ)に、ちょうふく山ていう大(お)っき山あって、夏のなんぼ晴れた時(じき)でも雲あって、てっぺん見ねがったど。その麓(ふもど)に ゛もうみき村"てあったど。 八月十五夜みてぇんた(みたいな)ある月のいい晩で、みな外(そと)さ出て月見してたきゃ、空、にわかに曇って、風吹いてきたど思ったば、今度(こんだ)ぁ雨降るして、しみぁに(しまいに)雹(ひょう)が降ってきたわけだ。それでセエ、あまりおっかねもんで、童(わらし)がたなば(達なんか)、あば(母)の布団の中で小便しにも行がねぇで、寝でだふだ(ようだ)。 したきゃ、屋根(やね)の上(うえ)さ大(たい)したあばれるもの来て、 「ちょうふく山の山姥(やまんば)、赤児産(ややこう)みしたんで、餅ついであげねば、馬、人、ともに食い殺してしもうぞぉ」 ど叫(さか)びながら、村中の家の屋根の上、何回も飛んで歩(あ)りたど。 一時(いっとき)ばかりしたば、カリッと晴れて、またカアカアした月夜になったわけだ。 夜が明けだば、村中の家、戸開けてこの話でもちきりだ。 「なんとした」 「叫んだのはなんだべ」 「餅つかねでも良(い)かべか」 ど、あっちこっちで話していだど。 朝の仕事がおわった時分(じぶん)なったば、肝煎(きもいり)がら 「村の人みな集まれ」 ど、ふれが来たわけだ。 「昨夜はどうだ。ひでがったネシ(ひどかったねえ)」 「肝煎さん、餅ついであげねぇたって、良(え)がんすか」 ど、相談しだと。して、とうど一軒あたり餅米四合ずつ持ち寄って、餅ついであげるこどにしたども、山姥おっかねぐて、誰れも持って行ぐていう人居ねがったふだ。 そこで、上(かみ)のだだ八、下のねぎそべの二人いつも威張(えば)ってばかりいるがら、あれ方(がた)さ持って行かせれ、どいうこどになったど。 肝煎、二人呼んで、 「手柄して貰うどこだ」 ど、いったきゃ、 「持って行くども、誰れか道案内つけでけれ」 ど、いったど。また、相談した末(すえ)に、七十いくつの、あかざばんば、良かべどて、ばんば呼んで話したば、 「これぁ、ありがたいごどだ。なんぼ残った命でもねぇがら、村のためになるのなば、良え」 どて、相談まとまったど。 して、村の人達餅米ふかし、ペタンコペタンコ餅ついで、二つの半切(はんぎ)りさ入れ、だだ八、ねぎそべが、それかづいで、あかざばんばも側(そば)さついで、いよいよ山さ登って行(え)ったわけだ。 まんず、心の中ではおっかねえ様子で、山姥さ殺さえるがも知れねぇど思ったども、心配な顔(つら)しねぇで一時ばり山さ登ったど。 足の下さみんなの村見えで、心細くなって来たども、まんずまんず我慢して登って行ったど。したば、急にゴオッど血生臭(ちなまぐ)せえ風吹いで来たわけだ。だだ八、ねぎそべ、 「これぁ、駄目だぁ」 「気味悪りでぇ」 ど、いうもんで、あかざばんば、 「なんの、なんの。心でそう思えばそうなるもんだ。さぁさぁ、元気出して歩くべ、歩くべ」 ど云っで、先に立って行ったど。 一時ばりしだば、今度(こんだ)ぁまた、前(さき)の何倍(なんびゃ)ぁも強い血生臭せぇ風、木の葉、草の上鳴らして吹いできたど。 あかさばんば、今度ぁ大変だど思ったど。 しばらくして後(うしろ)見たきゃ、二人ども居ねぇぐて、半切り、重ねてジャンど置いてあったど。 あかざばんば、がっかりして、<おれまで戻っだば、馬、人、ともに食われるがも知らねぇ。したば、村の人さ申し訳ねえし、おればり殺さえでも良え>ど決心して、上の方さ登って行ったど。 だいぶん登ったきゃ、山のてっぺんに、入り口さ薦(こも)下げた粗末な蒲(かま)小屋見えできだど。 あれぁ山姥の家だべ、ど行って、薦手繰(たぐ)って、 「ごめんしてたもれ。もうみき村がら、餅持って来たんす」 どいったきゃ、中さ、四つ五つくらいの童、大きな石持ってお手玉して遊んでらっけ。山姥、奥から気付いで、 「大儀(たいぎ)かけだ。大儀かけだ。がら(子供の名前)、がら、 ばんばどこさ、足洗う水やれ」 ど、いったば、 「はぁい」 ど、いって、水屋(みんじゃ)の水持って来て、 「ばんば、足洗って、中さはいれ」 ど、いったど。 ばんば、足洗って中さ入ったど。したば、山姥ぁ産じょくで寝てあっだど。がらがそのそばにちょこんと座ったら、山姥、寝床からがらの頭コなでて、 「昨夜(ゆんべ)この児(こ)産んでハァ、餅コ食いたぁぐなって、この児を使いにやったども、村の人さ難儀かげねがったべが。何(なん)た塩梅(あんべ)だったべか、と思ってたどごだ」 ど、いったど。あかざばんば、 「餅持って来たども、半切り、あまり重たぁぐて、持って来れなくて、山の途中さ置いて来た」 ど、いったば、山姥、 「がら、まんず、ン(お前)が行って餅持って呉(け)」 ど、いった。 がら、スウッと出はって行ったと思ったば、なんとその速(はや)いごど、すぐ、半切り持って来たど。 「がら、がら、熊獲(と)ってきて、熊のボンノクボの油とって、すまし餅こしゃえで、ばんばにも食(か)せれ」 と、いったば、がら、また、スウッと出はって行って、熊獲って来たど。 ばんば、腹一杯御馳走になったわけだ。 晩げになって、あかざばんば、 「もう暗くなるで、おら、家さ帰る」 と、いったば、山姥、 「なに、そんたに急いで帰えるごどねぇべ。おらどごには産じょく扱いの婆もいねぇがら、ニ一日だけいでけれ」 ど、いったど。あきらめで居るごどにしだど。 次の朝、あかざばんばは、明日(あした)こそ殺さえるべど思ったども、次の朝も、その次の朝もなんともねぐて、どうも食われるふでもね。 山姥の産じょくで汚れだ寝ワラを取り替えでやっだり、洗濯をしてやっだりしで、ニ一日が過ぎだど。 「家でも心配してるべがら、戻りてぇども」 ど、いったば、山姥、 「なんと厄介なった。家の都合もあるべがら、家さ戻って呉れ。なんも礼コねぇども、錦一疋呉(け)でやる。これだば何ぼ使ってもセエ、次の日は、また、元の通り一疋になってるなだ。 村の人達さ、なんもねぇども、誰れも鼻風邪ひとつひかねぇように、まめで暮らすように、おれの方(ほ)で気ィ付けてやるでぇ」 ど、いったど。して、 「がら、がら、ばんばどごお負(ぶ)って行(え)げ」 ど、大(たい)した気のつかいようだ。あかざばんば、 「なに、おらだば戻るの大したごどぁねえがら、お負(ば)れねぇたって良(え)え」 ど、いったども、がら、背中出して、 「眼(まなぐ)、ふさいでれ」 ど、いう。 お負(ぶ)われたきゃ、スウスウと耳のあたり風吹く様だと思ったきゃ、もう、家の前(めえ)さ来てしまったど。 「がら、がら、休んで行げ」 ど、いってみだば、もう、がら、いねがっだと。 家の中さ入っだば、人、ずっぱり(たくさん)いて、葬式でごったがえしているふだ。寺がら和尚さんも来てる。肝煎も来てだど。 「誰れの葬式だあ」 ど、聞いだば、 「あかざばんば、ちょうふく山に行ったきゃ、戻らねぇがら、今日、葬式するどごだあ」 「おら、戻って来たねえが」 どで、云ったば、みな、魂(たましい)来たどで驚いだども、そんでねぇごとわかっで、大した喜(よろご)んだ。して、錦見せだきゃ、 「おれさも呉れ」 「袋コこしゃるから、呉れ」 ど、あらかた無(ね)ぐなったども、次の日、また、元の通り一疋になってあったと。 それがら、村に風邪もはやらねぇふだし、山姥の声も聞がねぇし、みなみな安楽に暮らしだど。 これきって、とっぴんぱらりのぷう。
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3-14『信濃(しなの)の国(くに)の神無月(かんなづき)』
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2011-11-22
3-14『信濃(しなの)の国(くに)の神無月(かんなづき)』 ―長野県― 日本では十月のことを神無月(かんなづき)といいますが、出雲(いずも)の国(くに)だけは逆で神有月(かみありづき)といいますわねえ。 これは毎年十月になると、国中(くにじゅう)の神様が出雲大社(いずもたいしゃ)へ集って、縁結びや国造りの相談をなさるからだといわれています。 それで十月の出雲は神様だらけなので神有月。他はどの国も神様が出張中でいないので神無月。 と、まあ、これはあなたも識(し)っていなさるわねぇ。では、これはどうかしら。信濃(しなの)の国には神無月はない、というには? あ、そう。では、その話をしましょうか、 ある年のこと。 十月になって、いつもの通り諸国(しょこく)の神様たちが出雲の大社へお集りになったの。 だけど、信濃の国の諏訪の龍神様(りゅうじんさま)の姿だけが見えない。そのうち来られるであろうって、よもやま話をしながら待っていたの。でも待てども待てども見えられん。待ちくたびれて、 「信濃の龍神さまはどうした。病気にでもなったか、誰ぞ聞いてないか」 と、どこかの神様が尋ねたら、 「なんだ、遅刻かと思っとったが違うのか」 「諏訪どんは丈夫なお方だから病気の方が逃げて行こうさ」 「それにしても、そろそろ会議を開かないと、今月中には審議しきれんのではないか」 「そうだ、いつまでも待っておれんからな」 と、神様たちがざわめき出したそうです。 すると、天井(てんじょう)からでかい声が降ってきた。 「わしはここだ」 神様たちは、いっせいに天井をふりあおいで真青になった。 天井の梁(はり)という梁に龍が巻きついていて、ランランと目を光らせて下を見下ろしていた。真赤な舌を出し入れするたびに、シュッ、シュッとおそろしげな音もする。 諸国の神様たちは、今にもその舌でからめとられるのではないかと、腰が引けたそうです。 「近頃わしは勢(いきおい)がめっぽういいでな、体が大きくなりすぎて、もてあましぎみじゃ。わしの体は、この社(やしろ)を七巻き半しとるんじゃが尾はまんだ信濃の尾掛(おかけ)の松(まつ)にかかっとる。信濃の国は遠いで、こういう姿で空かけてきたんじゃが、尾が尾掛けの松にかかっとる間は姿を変えられんのじゃ。部屋に入って坐ろうかとも思うたが、神々方(かみがみがた)を驚かせても悪りいと思うて、天井にはりついとった。なんなら今からそこへ降りていこうかい」 というなり、龍神様はおそろしげな姿のままシュッ、シュッと音をたてて天井から下りはじめましたのです。諸国の神様たちは龍神様の一たんあばれはじめたら手に負えないのを識っていなさるもので、青くなって、 「いやいや、それにはおよばん。なるほど信濃は遠い国である。おまけに、そんなに体が大きくなっては動くのも大ごとであろう。これからは、どうかお国にいて下され。会議のもようや相談は、こちらから誰ぞ出向いて知らせに行く」 と、いいましたら、 「そうか、それはありがたい」 と、みるみる黒雲に乗って信濃の国の諏訪湖へ帰って行かれたそうです。 この翌年から、信濃の国には神無月というのはなくなったそうです。 それっきり。
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3-13『青(あお)の洞門(どうもん)』
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2011-11-22
3-13『青(あお)の洞門(どうもん)』 ―大分県― 豊後(ぶんご)の国(くに)、今の大分県下毛郡本耶馬溪町(おおいたけんしもげぐんほんやばけいまち)にある青(あお)の洞門(どうもん)ね、これにまつわる話をしましょうか。 山国川(かやくにがわ)に臨(いど)む断崖(だんがい)、耶馬溪の競秀峰(きょうしゅうほう)は、遠い遠い昔から交通の難所として知られておりました。 この絶壁の中腹(ちゅうふく)に、青の鎖戸渡(くさりどわた)しがありました。目もくらむ岩壁(がんぺき)に沿(そ)ってつながれた丸太の上を、鎖に伝って渡るしかない、そりゃ危ないもんでした。樋田(ひだ)から青へ行くには、どうしても通らなければならない道でしたから、足を踏みはずして命を落とした人馬(じんば)は、数知(かずし)れんほどだったと聞いております。 その競秀峰の苔(こけ)むした岩壁に、いつごろからか、一人の僧が槌(つち)を振(ふ)るうようになりました。僧の名は禅海(ぜんかい)といいました。俗名を福原市九郎(ふくはらいちくろう)といい、かって江戸で、中川四郎兵衛(なかがわしろべえ)という武士の庸人(ようじん)として仕(つか)える身でしたが、あるとき、ささいなことが原因(もと)で主人を殺(あや)めてしまいまして、その罪(つみ)ほろぼしに、僧形(そうぎょう)となり名を禅海と改めて、諸国行脚(しょこくあんぎゃ)の旅に出ていたのでした。 四国八十八か所を巡り、九州、豊後の耶馬溪の樋田にたどりついた禅海は、この絶壁の鎖戸渡しを見て雷にうたれたようにその場にたたずみました。これこそが求めていた道だと確信し、この山裾(やますそ)に洞門を掘る一大誓願(いちだいせいがん)を立てましたそうです。 享保(きょうほ)二十年に最初の槌を振るって以来、禅海は昼夜なしに洞門を掘り続けました。初めのうちは禅海を気違(きちが)い扱いしておりました村人たちも、一年たち、二年たちするうちに、禅海の苦労をねぎらう者も出てきましてねえ。 それからまた五年、十年がたち、いつしか二十五年という、気の遠くなるような月日が流れていました。禅海は、ただひたすら岩にノミを当て、槌でたたく毎日でした。 その頃、一人の若者が禅海を捜して青の鎖戸渡しまでやってきました。過ぎし日、禅海が殺めた中川四郎兵衛の長男、実之助(じつのすけ)でした。 父の仇を討つため、この地へやって来たのでした。掘られた洞門から土を運んで出てきた男に、りんと声をかけました。 「禅海か、俗名を福原市九郎に相違あるまい」 禅海は、まぶしげにその若者を見ながら、 「いかにも、してそこもとは」 と、問いかえしましたら、 「それがしは、中川四郎兵衛の一子(いっし)、実之助と申す。父の仇を討ちに来た」 と名のりましたそうです。 「おお、中川さまの御子息か。いかにも禅海、そこもとの父を殺めた市九郎に相違ありませぬ。じゃが何とぞ、お待ち下され」 「この期(ご)に及んで命乞いか」 怒りで気負いたった実之助に、禅海は静かに言うた。 「命乞いではありませぬ。ただ禅海が罪ほろぼしに掘っておる、この洞門が貫通するまで、仇討ちはお待ちいただくわけにはいくまいか」 実之助は禅海が掘っているこの洞門が、今では、この村の人たちのみならず、ここを通る旅人たちの期待にまでなっているのを識(し)らないではありませんでした。目の前の、伸び放題の髪の毛に、破れた衣をまとっている、とても人間とは思えぬ姿に、いつしか、心を打たれてしまいました。 その日から、禅海と並んでノミと槌を振う実之助の姿が村人たちの目に見られるようになりました。仇を討つ者と討たれる者とは、お互い目的は違いながらも、ただ黙々と槌を振るうのでした。 そして五年後、ついに青の洞門は完成しました。禅海が堀り始めて三十年目のその日、思わず抱き合う二人の目に、汗と涙が光っておりました。 「実之助殿、そなたのおかげで、ようやく誓願が成就(じょうじゅ)致しました。禅海、いや、福原市九郎、もう思い残すことはござりませぬ。約束じゃ、お斬りなされ」 静かに首をさしのべる禅海、 実之助は、その禅海の手を固く握りしめると、そのまま江戸へ帰って行きましたそうです。 今、この青の洞門は舗装され、広くなっておりますわね。でも壁面には、禅海の槌の跡もところどころに残っておりまして、その苦労のほどがしのばれるようになっております。 むかしかっぽ米ン団子。
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