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人生山あり谷あり。
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126    3-15『ちょうふく山の山姥(やまんば)』 댓글:  조회:4281  추천:0  2011-11-22
3-15『ちょうふく山の山姥(やまんば)』   ―秋田県仙北郡―    むがし、あったずもな。  ある所(どころ)に、ちょうふく山ていう大(お)っき山あって、夏のなんぼ晴れた時(じき)でも雲あって、てっぺん見ねがったど。その麓(ふもど)に ゛もうみき村"てあったど。  八月十五夜みてぇんた(みたいな)ある月のいい晩で、みな外(そと)さ出て月見してたきゃ、空、にわかに曇って、風吹いてきたど思ったば、今度(こんだ)ぁ雨降るして、しみぁに(しまいに)雹(ひょう)が降ってきたわけだ。それでセエ、あまりおっかねもんで、童(わらし)がたなば(達なんか)、あば(母)の布団の中で小便しにも行がねぇで、寝でだふだ(ようだ)。  したきゃ、屋根(やね)の上(うえ)さ大(たい)したあばれるもの来て、  「ちょうふく山の山姥(やまんば)、赤児産(ややこう)みしたんで、餅ついであげねば、馬、人、ともに食い殺してしもうぞぉ」 ど叫(さか)びながら、村中の家の屋根の上、何回も飛んで歩(あ)りたど。  一時(いっとき)ばかりしたば、カリッと晴れて、またカアカアした月夜になったわけだ。  夜が明けだば、村中の家、戸開けてこの話でもちきりだ。  「なんとした」  「叫んだのはなんだべ」  「餅つかねでも良(い)かべか」 ど、あっちこっちで話していだど。  朝の仕事がおわった時分(じぶん)なったば、肝煎(きもいり)がら  「村の人みな集まれ」 ど、ふれが来たわけだ。  「昨夜はどうだ。ひでがったネシ(ひどかったねえ)」  「肝煎さん、餅ついであげねぇたって、良(え)がんすか」 ど、相談しだと。して、とうど一軒あたり餅米四合ずつ持ち寄って、餅ついであげるこどにしたども、山姥おっかねぐて、誰れも持って行ぐていう人居ねがったふだ。  そこで、上(かみ)のだだ八、下のねぎそべの二人いつも威張(えば)ってばかりいるがら、あれ方(がた)さ持って行かせれ、どいうこどになったど。  肝煎、二人呼んで、  「手柄して貰うどこだ」 ど、いったきゃ、  「持って行くども、誰れか道案内つけでけれ」 ど、いったど。また、相談した末(すえ)に、七十いくつの、あかざばんば、良かべどて、ばんば呼んで話したば、  「これぁ、ありがたいごどだ。なんぼ残った命でもねぇがら、村のためになるのなば、良え」 どて、相談まとまったど。  して、村の人達餅米ふかし、ペタンコペタンコ餅ついで、二つの半切(はんぎ)りさ入れ、だだ八、ねぎそべが、それかづいで、あかざばんばも側(そば)さついで、いよいよ山さ登って行(え)ったわけだ。  まんず、心の中ではおっかねえ様子で、山姥さ殺さえるがも知れねぇど思ったども、心配な顔(つら)しねぇで一時ばり山さ登ったど。  足の下さみんなの村見えで、心細くなって来たども、まんずまんず我慢して登って行ったど。したば、急にゴオッど血生臭(ちなまぐ)せえ風吹いで来たわけだ。だだ八、ねぎそべ、  「これぁ、駄目だぁ」  「気味悪りでぇ」 ど、いうもんで、あかざばんば、  「なんの、なんの。心でそう思えばそうなるもんだ。さぁさぁ、元気出して歩くべ、歩くべ」 ど云っで、先に立って行ったど。  一時ばりしだば、今度(こんだ)ぁまた、前(さき)の何倍(なんびゃ)ぁも強い血生臭せぇ風、木の葉、草の上鳴らして吹いできたど。  あかさばんば、今度ぁ大変だど思ったど。  しばらくして後(うしろ)見たきゃ、二人ども居ねぇぐて、半切り、重ねてジャンど置いてあったど。  あかざばんば、がっかりして、<おれまで戻っだば、馬、人、ともに食われるがも知らねぇ。したば、村の人さ申し訳ねえし、おればり殺さえでも良え>ど決心して、上の方さ登って行ったど。  だいぶん登ったきゃ、山のてっぺんに、入り口さ薦(こも)下げた粗末な蒲(かま)小屋見えできだど。  あれぁ山姥の家だべ、ど行って、薦手繰(たぐ)って、  「ごめんしてたもれ。もうみき村がら、餅持って来たんす」 どいったきゃ、中さ、四つ五つくらいの童、大きな石持ってお手玉して遊んでらっけ。山姥、奥から気付いで、  「大儀(たいぎ)かけだ。大儀かけだ。がら(子供の名前)、がら、 ばんばどこさ、足洗う水やれ」 ど、いったば、  「はぁい」 ど、いって、水屋(みんじゃ)の水持って来て、  「ばんば、足洗って、中さはいれ」 ど、いったど。  ばんば、足洗って中さ入ったど。したば、山姥ぁ産じょくで寝てあっだど。がらがそのそばにちょこんと座ったら、山姥、寝床からがらの頭コなでて、  「昨夜(ゆんべ)この児(こ)産んでハァ、餅コ食いたぁぐなって、この児を使いにやったども、村の人さ難儀かげねがったべが。何(なん)た塩梅(あんべ)だったべか、と思ってたどごだ」 ど、いったど。あかざばんば、  「餅持って来たども、半切り、あまり重たぁぐて、持って来れなくて、山の途中さ置いて来た」 ど、いったば、山姥、  「がら、まんず、ン(お前)が行って餅持って呉(け)」 ど、いった。  がら、スウッと出はって行ったと思ったば、なんとその速(はや)いごど、すぐ、半切り持って来たど。  「がら、がら、熊獲(と)ってきて、熊のボンノクボの油とって、すまし餅こしゃえで、ばんばにも食(か)せれ」 と、いったば、がら、また、スウッと出はって行って、熊獲って来たど。  ばんば、腹一杯御馳走になったわけだ。  晩げになって、あかざばんば、  「もう暗くなるで、おら、家さ帰る」 と、いったば、山姥、  「なに、そんたに急いで帰えるごどねぇべ。おらどごには産じょく扱いの婆もいねぇがら、ニ一日だけいでけれ」 ど、いったど。あきらめで居るごどにしだど。  次の朝、あかざばんばは、明日(あした)こそ殺さえるべど思ったども、次の朝も、その次の朝もなんともねぐて、どうも食われるふでもね。  山姥の産じょくで汚れだ寝ワラを取り替えでやっだり、洗濯をしてやっだりしで、ニ一日が過ぎだど。  「家でも心配してるべがら、戻りてぇども」 ど、いったば、山姥、  「なんと厄介なった。家の都合もあるべがら、家さ戻って呉れ。なんも礼コねぇども、錦一疋呉(け)でやる。これだば何ぼ使ってもセエ、次の日は、また、元の通り一疋になってるなだ。  村の人達さ、なんもねぇども、誰れも鼻風邪ひとつひかねぇように、まめで暮らすように、おれの方(ほ)で気ィ付けてやるでぇ」 ど、いったど。して、  「がら、がら、ばんばどごお負(ぶ)って行(え)げ」 ど、大(たい)した気のつかいようだ。あかざばんば、  「なに、おらだば戻るの大したごどぁねえがら、お負(ば)れねぇたって良(え)え」 ど、いったども、がら、背中出して、  「眼(まなぐ)、ふさいでれ」 ど、いう。  お負(ぶ)われたきゃ、スウスウと耳のあたり風吹く様だと思ったきゃ、もう、家の前(めえ)さ来てしまったど。  「がら、がら、休んで行げ」 ど、いってみだば、もう、がら、いねがっだと。  家の中さ入っだば、人、ずっぱり(たくさん)いて、葬式でごったがえしているふだ。寺がら和尚さんも来てる。肝煎も来てだど。  「誰れの葬式だあ」 ど、聞いだば、  「あかざばんば、ちょうふく山に行ったきゃ、戻らねぇがら、今日、葬式するどごだあ」  「おら、戻って来たねえが」 どで、云ったば、みな、魂(たましい)来たどで驚いだども、そんでねぇごとわかっで、大した喜(よろご)んだ。して、錦見せだきゃ、  「おれさも呉れ」  「袋コこしゃるから、呉れ」 ど、あらかた無(ね)ぐなったども、次の日、また、元の通り一疋になってあったと。  それがら、村に風邪もはやらねぇふだし、山姥の声も聞がねぇし、みなみな安楽に暮らしだど。  これきって、とっぴんぱらりのぷう。  
125    3-14『信濃(しなの)の国(くに)の神無月(かんなづき)』 댓글:  조회:3461  추천:0  2011-11-22
3-14『信濃(しなの)の国(くに)の神無月(かんなづき)』   ―長野県―    日本では十月のことを神無月(かんなづき)といいますが、出雲(いずも)の国(くに)だけは逆で神有月(かみありづき)といいますわねえ。  これは毎年十月になると、国中(くにじゅう)の神様が出雲大社(いずもたいしゃ)へ集って、縁結びや国造りの相談をなさるからだといわれています。  それで十月の出雲は神様だらけなので神有月。他はどの国も神様が出張中でいないので神無月。 と、まあ、これはあなたも識(し)っていなさるわねぇ。では、これはどうかしら。信濃(しなの)の国には神無月はない、というには?  あ、そう。では、その話をしましょうか、  ある年のこと。  十月になって、いつもの通り諸国(しょこく)の神様たちが出雲の大社へお集りになったの。  だけど、信濃の国の諏訪の龍神様(りゅうじんさま)の姿だけが見えない。そのうち来られるであろうって、よもやま話をしながら待っていたの。でも待てども待てども見えられん。待ちくたびれて、  「信濃の龍神さまはどうした。病気にでもなったか、誰ぞ聞いてないか」 と、どこかの神様が尋ねたら、  「なんだ、遅刻かと思っとったが違うのか」  「諏訪どんは丈夫なお方だから病気の方が逃げて行こうさ」  「それにしても、そろそろ会議を開かないと、今月中には審議しきれんのではないか」  「そうだ、いつまでも待っておれんからな」 と、神様たちがざわめき出したそうです。  すると、天井(てんじょう)からでかい声が降ってきた。  「わしはここだ」  神様たちは、いっせいに天井をふりあおいで真青になった。  天井の梁(はり)という梁に龍が巻きついていて、ランランと目を光らせて下を見下ろしていた。真赤な舌を出し入れするたびに、シュッ、シュッとおそろしげな音もする。  諸国の神様たちは、今にもその舌でからめとられるのではないかと、腰が引けたそうです。  「近頃わしは勢(いきおい)がめっぽういいでな、体が大きくなりすぎて、もてあましぎみじゃ。わしの体は、この社(やしろ)を七巻き半しとるんじゃが尾はまんだ信濃の尾掛(おかけ)の松(まつ)にかかっとる。信濃の国は遠いで、こういう姿で空かけてきたんじゃが、尾が尾掛けの松にかかっとる間は姿を変えられんのじゃ。部屋に入って坐ろうかとも思うたが、神々方(かみがみがた)を驚かせても悪りいと思うて、天井にはりついとった。なんなら今からそこへ降りていこうかい」 というなり、龍神様はおそろしげな姿のままシュッ、シュッと音をたてて天井から下りはじめましたのです。諸国の神様たちは龍神様の一たんあばれはじめたら手に負えないのを識っていなさるもので、青くなって、  「いやいや、それにはおよばん。なるほど信濃は遠い国である。おまけに、そんなに体が大きくなっては動くのも大ごとであろう。これからは、どうかお国にいて下され。会議のもようや相談は、こちらから誰ぞ出向いて知らせに行く」 と、いいましたら、  「そうか、それはありがたい」 と、みるみる黒雲に乗って信濃の国の諏訪湖へ帰って行かれたそうです。  この翌年から、信濃の国には神無月というのはなくなったそうです。   それっきり。    
124    3-13『青(あお)の洞門(どうもん)』 댓글:  조회:3607  추천:0  2011-11-22
3-13『青(あお)の洞門(どうもん)』   ―大分県―    豊後(ぶんご)の国(くに)、今の大分県下毛郡本耶馬溪町(おおいたけんしもげぐんほんやばけいまち)にある青(あお)の洞門(どうもん)ね、これにまつわる話をしましょうか。  山国川(かやくにがわ)に臨(いど)む断崖(だんがい)、耶馬溪の競秀峰(きょうしゅうほう)は、遠い遠い昔から交通の難所として知られておりました。  この絶壁の中腹(ちゅうふく)に、青の鎖戸渡(くさりどわた)しがありました。目もくらむ岩壁(がんぺき)に沿(そ)ってつながれた丸太の上を、鎖に伝って渡るしかない、そりゃ危ないもんでした。樋田(ひだ)から青へ行くには、どうしても通らなければならない道でしたから、足を踏みはずして命を落とした人馬(じんば)は、数知(かずし)れんほどだったと聞いております。  その競秀峰の苔(こけ)むした岩壁に、いつごろからか、一人の僧が槌(つち)を振(ふ)るうようになりました。僧の名は禅海(ぜんかい)といいました。俗名を福原市九郎(ふくはらいちくろう)といい、かって江戸で、中川四郎兵衛(なかがわしろべえ)という武士の庸人(ようじん)として仕(つか)える身でしたが、あるとき、ささいなことが原因(もと)で主人を殺(あや)めてしまいまして、その罪(つみ)ほろぼしに、僧形(そうぎょう)となり名を禅海と改めて、諸国行脚(しょこくあんぎゃ)の旅に出ていたのでした。  四国八十八か所を巡り、九州、豊後の耶馬溪の樋田にたどりついた禅海は、この絶壁の鎖戸渡しを見て雷にうたれたようにその場にたたずみました。これこそが求めていた道だと確信し、この山裾(やますそ)に洞門を掘る一大誓願(いちだいせいがん)を立てましたそうです。 享保(きょうほ)二十年に最初の槌を振るって以来、禅海は昼夜なしに洞門を掘り続けました。初めのうちは禅海を気違(きちが)い扱いしておりました村人たちも、一年たち、二年たちするうちに、禅海の苦労をねぎらう者も出てきましてねえ。  それからまた五年、十年がたち、いつしか二十五年という、気の遠くなるような月日が流れていました。禅海は、ただひたすら岩にノミを当て、槌でたたく毎日でした。  その頃、一人の若者が禅海を捜して青の鎖戸渡しまでやってきました。過ぎし日、禅海が殺めた中川四郎兵衛の長男、実之助(じつのすけ)でした。  父の仇を討つため、この地へやって来たのでした。掘られた洞門から土を運んで出てきた男に、りんと声をかけました。  「禅海か、俗名を福原市九郎に相違あるまい」  禅海は、まぶしげにその若者を見ながら、  「いかにも、してそこもとは」 と、問いかえしましたら、  「それがしは、中川四郎兵衛の一子(いっし)、実之助と申す。父の仇を討ちに来た」 と名のりましたそうです。  「おお、中川さまの御子息か。いかにも禅海、そこもとの父を殺めた市九郎に相違ありませぬ。じゃが何とぞ、お待ち下され」  「この期(ご)に及んで命乞いか」  怒りで気負いたった実之助に、禅海は静かに言うた。  「命乞いではありませぬ。ただ禅海が罪ほろぼしに掘っておる、この洞門が貫通するまで、仇討ちはお待ちいただくわけにはいくまいか」  実之助は禅海が掘っているこの洞門が、今では、この村の人たちのみならず、ここを通る旅人たちの期待にまでなっているのを識(し)らないではありませんでした。目の前の、伸び放題の髪の毛に、破れた衣をまとっている、とても人間とは思えぬ姿に、いつしか、心を打たれてしまいました。  その日から、禅海と並んでノミと槌を振う実之助の姿が村人たちの目に見られるようになりました。仇を討つ者と討たれる者とは、お互い目的は違いながらも、ただ黙々と槌を振るうのでした。  そして五年後、ついに青の洞門は完成しました。禅海が堀り始めて三十年目のその日、思わず抱き合う二人の目に、汗と涙が光っておりました。  「実之助殿、そなたのおかげで、ようやく誓願が成就(じょうじゅ)致しました。禅海、いや、福原市九郎、もう思い残すことはござりませぬ。約束じゃ、お斬りなされ」  静かに首をさしのべる禅海、  実之助は、その禅海の手を固く握りしめると、そのまま江戸へ帰って行きましたそうです。  今、この青の洞門は舗装され、広くなっておりますわね。でも壁面には、禅海の槌の跡もところどころに残っておりまして、その苦労のほどがしのばれるようになっております。  むかしかっぽ米ン団子。  
123    3-12『一休(いっきゅう)さんと殿(との)さま』 댓글:  조회:3890  추천:0  2011-11-22
3-12『一休(いっきゅう)さんと殿(との)さま』   ―山形県―    一休和尚さんは、小僧さんのころからとても頓智(とんち)にたけたおひとだった。  まだほんの小僧さんなのに、大人(おとな)のけんかを頓智でまるくおさめたり、身分(みぶん)をかさにきていばっていたりしていると頓智でギャフンといわせたりするものだから、一休さんの人気はうなぎのぼりに高まったと。  評判が殿様の耳にもきこえた。  「最近、いい気になっているから困らせて呉(く)れよう」 というわけで、一休さん、殿様に呼ばれた。  お城にあがってみると、通された広間にはお侍たちがたくさんいて、その一番奥の一段高くなったところに殿様が坐(すわ)っていらした。  「おお、きたか。うむ、そちがうわさに聞く一休か。ああ、かしこまらなくてもいいぞ。そんなに遠くじゃ話が見えぬ。かまわんからそばに寄れ。よしよし、それでよい」  殿様、おつきの者がさし出した箱から何やらとりだして、両掌(りょうて)につつみこんだ。  「これ一休、そちはなかなか頓智に秀(すぐ)れていると聞くが、これは当てられるかな」  殿様は両掌を前に出し、一休さんに見えるように少しだけ両掌をひろげた。  「この掌(て)の中にあるのは雀(すずめ)だが、この雀、生きているか、死んでいるか、さあ、当ててみよ」  一休さんがまわりを見まわしたら、広間の両脇にずらーっと並んで坐っているお侍たちは、みなみなニャニャ笑って、答を知っているふうだ。  <おらが負けると思っている顔ばかりだな。ということ・・・、ふーん、そういうことか>  殿様の魂胆(こんたん)がピーンとひらめいた一休さん、にこにこっとした。  「はいっ。当てられないこともないけれど」 といいながら、タタミのヘリを股いで立ちあがり、  「その前におらのを当ててみて下さい。このタタミのヘリから、おらは右へ行くか、左へ行くかわかりますか。殿様が当てたら、雀が生きているか、死んでいるか、おらも当ててみますから」 といった。  あまりに予想外の答で、家来たちはハッとして殿様の顔を見た。殿様、顔をまっ赤にして一休をにらんでいる。  「うーん。まいった。予(よ)の負けじゃ」 といわれた。殿様は、一休さんが、雀が生きていると答れば雀の首をひねって殺し、死んでいるといえば生きたまま出して見せるつもりだったと。  魂胆をさか手にとられて負けた殿様、くやしくてならない。くる日も、くる日もよい智恵はないかと思案していたら、襖(ふすま)の絵が目についた。殿様、難問を思いつかれた。  「うーん。これなら一休をギャフンといわせてやれる」 というて、喜んだ。  また、一休さんが呼ばれた。  「これ一休。そこの襖の虎を縛(しば)ってみよ」  殿様が閉(と)じた扇子(せんす)でさす方を見ると、襖には、ガンク、ガンカイといって、昔は虎を描(か)かせたら世界一といわれたガンクの描いた虎が竹林(ちくりん)から目をランランと光らせて一休さんをにらんでいる。牙をむいて、今にも襲いかかってきそうだ。緊張感がピーンと張りつめて、そのすさまじさは絵と判っていても身のすくむ思いがする。  絵に見とれている一休さんに、殿様、  「どうだ、なんぼ一休でも絵に画いた虎は縛れまい。こうさんするか」 と、とくい顔でいわれた。  そしたら一休さん、にこにこして、  「いえ、描いた虎でも何でも縛る。ですが、おらの縛り方は投げ縄でとらえてから縛るやり方で、虎を追い出すセコがいります。このままでは、竹薮(たけやぶ)がじゃまになって何とも仕様がないから、殿様、虎を追い出して下さい。おら、こっちで待っていますから」 というた。  殿様、これには何ともしようが無くて、また負けてしまったと。  どんびんからりん、すっからりん。    
3-11『爺(じい)はじっとしとれ、婆(ばあ)はバ―ッとしとれ』   ―兵庫県―    昔むかし、ある所に爺さんと婆さんがおったそうな。  爺さんは毎日山へ木ィ伐(き)りに、婆さんは川へ洗濯(せんたく)に行っていたと。  あるとき、爺さんが山で飯食(ままく)おうと切り株に腰かけたら、「チッ、チッ」と鳥が啼(な)く。  「どこで啼くじゃろ」 といって、あたりを見わたして探(さが)してみたが鳥は見あたらん。  「近くで啼いたようだったがな。まあ飯食うじゃ」 といって、飯食いかけたら、また「チッ、チッ」と啼いた。  「ありゃ、尻(しり)の下で聞こえた」  爺さんが腰掛けていた切り株を見たら、穴があった。そこへ手を入れたら小鳥が手にさわった。やんわり握(にぎ)って出してみたら雛(ひよこ)だった。  「放(ほお)ってぇたら死ぬるなあ」  爺さんはその雛を持って家に戻った。  「婆さん、ええ物(もん)拾うて来た。これを見ぃや」  「あら、まんたヒヨコじゃのう。どなぇしたじゃぇの」  「うん、飯食おうと腰かけたら、切り株の中におった。放ってぇたら死ぬるから拾って来たわいや。面倒臭(めんどうくそ)うても飼(こう)うちゃろいや」  「ふん、飼うちゃるとも、私等(うらら)ぁにゃぁ子が無ぇじゃし、可愛ぇがっちゃるがの」 というて、ふるいを伏せて飼(か)ってやったと。  飼っているうちにだんだん大きくなって、ふるいではせまっくるしくて飼えなくなった。  で、二人は相談して、元の山へ放してやることにした。  二人で木ィ伐り山のふもとへ行って、  「小鳥ぃやぁ、うちゃぁ貧乏で鳥籠(とりかご)はなし、放ぇちゃるで好きなとこへ行(い)て大きゅうなれ」 というて放してやった。  そしたら小鳥は、はじめは飛び方もおぼつかなくて、婆さんの頭にとまったり、爺さんの肩にとまったりしていたが、ようやく山の中へ飛んで行ったと。  「チッチがいのうなったら、なにやらさみしゅうなったわいや」  「私(うら)も」 といいあって、こ半月(はんつき)たったある日、軒先(のきさき)へ小鳥が飛んで来て、  「爺は木ィ伐り山でじぃっとしとれ。   婆は洗濯川でバァーとしとれ」 というて啼いた。  爺さんと婆さんは、何のことをいうているのかようわからなかったが、可愛がっていたチッチがそういうのだからというて、二人とも小鳥の言う通りにしたと。  爺さんが山でじいっとしていると、兎(うさぎ)が出てきて、着物の前からちょろっとのぞいているチンチン山芋(やまいも)と間違えて、股の間に入って来た。爺さん、そいつをつかまえて戻ったと。  婆さんが川で股ァ拡(ひろ)げていたら、鰻(うなぎ)や鯰(なまず)や鮒(ふな)が、なんぼでも寄って来るので、そいつを捕まえて戻った。  二人は、それらを売って金持ちになったと。  
121    3-10『売桝(うります)、買桝(かいます)』 댓글:  조회:3763  추천:0  2011-11-22
3-10『売桝(うります)、買桝(かいます)』   ―山梨県―    むかし、あるところに、米、味噌、正油を売る店があったと。  いく代(だい)も続いて信用もあったのだが、どうしたわけか、だんだん身上(しんしょう)が傾(かたむ)いてきた。  店の老夫婦は何とかして元通りに繁盛(はんじょう)させたいものだと、二人で相談して、「売桝(ます)」と「買桝」、それと、「売計(ばか)り」と「買計り」を作った。  売桝の方は正しい桝より少し小さく、  買桝の方は正しい桝より少し大きい。  売計りの方は正しい分銅(ふんどう)より少し軽くし、  買計りの方は正しい分銅より少し重くしたと。  仕入れるときは正しい目方(めかた)より少し多めに、  売るときは正しい目方より少し少なめに  こういう具合にすれば買いと売りとで両方余計に儲(もう)かるという寸法だ。  卸問屋(おろしどんや)もお客も欺(だま)されて、店はだんだん身上がよくなってきた二人してほくそ笑(え)んでいたと。  ところが、しばらくすると、  「このごろ、あの店の桝目はこすくないか。どうも吝(けち)くさい」 と評判になって、客足が遠のきはじめた。  卸問屋の方でも、  「あの店は、どうも勘定(かんじょう)より余計に品物を取られているような気がしてならん」 というて、取引するのを、だんだん嫌がるようになったと。  こうして、買い手も売り手も寄りつかない有様となって、店は前よりますます傾く一方になったと。  ちょうどその頃、この店には年頃の息子が一人あった。  方々(ほうぼう)探して、ようやく嫁の来手(きて)が見つかったと。  その嫁は望外(ぼうがい)の働きものだった。商(あきない)が好きとみえて、店に出たがるのだと。  老夫婦は、「売桝」「買桝」と「売計り」と「買計り」がばれると困る。嫁に、  「家の中のことをやっとればいいで」 というて、自分たちだけで店働きをしていたと。  嫁は、そうは言われても商好(あきないず)きだったから隙(すき)をみつけては二人の様子をじいっと見ていた。とうとう「売桝、買桝」の秘密を見破ってしまったと。 「ははぁん、評判の悪いのは、あのせいだな」 と悟(さと)った嫁は、ある日、老夫婦に、  「おらに店をやらしてけれ、それがいやなら、おら実家(さと)に帰らしてもらいます」 というた。  傾きかけた身上で嫁に帰られてはなを困る。老夫婦は嫁に店働きをかわってもらうことにしたと。そうなれば二(ふた)とうりの桝と計りは嫁には見せられん。火にくべようとした。そしたら嫁は、  「ぜひそれを、おらに譲(ゆず)っておくんなさい」 というた。  それらを譲ってもらった嫁は、次の日から店に出て、老夫婦とは逆のことをはじめた。  小さめの売桝で卸問屋から物を仕入れ、大きめの買桝でお客に物を売った。  それを見た老夫婦は、  「ただでさえ傾(かし)ぎかかっとるのに、あんなことをされては大損(おおぞん)だ」 と気が気でない。  ところが、買い手が家に帰って、試(ため)しに買ったものを計ってみたら十二分(ぶん)に多い。卸問屋でも勘定してみると、得をしている。  「あの店も嫁の代になったら大変勉強するようになった」 と評判がたち、客は押しかける、卸問屋も競争でやって来て、良い品を安く卸して行くようになる。こんな有様で、店はみるみる大繁盛したと。  いっちんさけえ。  
120    3-9『曽呂利新左衛門(そろりしんざえもん)』 댓글:  조회:4344  추천:0  2011-11-22
3-9『曽呂利新左衛門(そろりしんざえもん)』   ―山形県―    むかし、むかし、秀吉(ひでよし)の時代に新左衛門(しんざえもん)ていう刀の鞘師(さやし)いだったど。  新左衛門がこしらえる鞘は、刀がソロリ、ソロリと抜けて、まごとに具合(ぐあい)がええ。天下一の名人だていうなで、誰しも新左衛門のことを、曽呂利(そろり)、曽呂利、と呼ぶようになって、いつの間にか曽呂利新左衛門(そろりしんざえもん)と名がついだと。  あるどき、秀吉がひどく病気して、なんだか分らねんど、段々(だんだん)衰弱(すいじゃく)していぐ。  ほだえしているうち、盆栽(ぼんさい)の松の木、枯(か)れでしまった。ほうしたれば秀吉、なおさら気落(きお)ちしてしまって、  「余もこれきりだ、おしまいだ」 て、なげいで、日に日にやせ衰(おとろ)えて行った。  何とかええ医者どの居ねべか、何とかならねべか、ていうてるうちに、新左衛門が、ほこさ行って歌詠(うたよ)んだ。  御秘蔵(ごひぞう)の常盤(ときわ)の松(まつ)は枯(か)れにけり  千代(ちよ)の齢(よわい)を君(きみ)にゆずりて  こういうふうに詠んだ。ほうしたけぁ、秀吉、  「はあそうか、松の木はおれの身代りになって呉(け)だか」 て、ほだえして気分ええぐなってるうち、薄紙はぐようにだんだん良(え)ぐなった。ほしたけぁ、  「これ、新左衛門、なにかお前にお礼をしたい。望むものはないか」  「いやいや、上様(うえさま)、一か月間の一文(いちもん)の倍増(ばいまし)しで結構でございます」  「ああ、新左衛門、一文の倍増しとは、どういうことだ」  「はい、第一日目は一文、二日目は二文(にもん)、三日目は四文(よんもん)でございます」  「そうか、何だ、子供の小遣銭(こづかいせん)にもならねほどで、お前は満足するのか」  「いやいや、そうでないげんども、この位にさせて戴(いただ)きます」  「欲のない男だな。よし、んたらば」 ていうて、会計係さ命じて渡したど。  八日経(た)ったれば百二十八文になる。十日経ったれば五百十二文になった。二十日経ったれば五百二十貫二百八十八文になった。  「ありゃおかしい」 ていうわけで、会計係ソロバンはじいてみておどろいた。三十日になったら、何と馬車二十台で運ばんなねことになる。  「いやいや、こんではとても適(かな)わね。   新左衛門、新左衛門、余が参った。一ヶ月でねく、二十日間で、まず勘弁(かんべん)して呉ねが。ほのかわり、他(ほか)にもう少しお前さやっから」  「はい、結構でございます。んでは、他に戴かせてもらいます」  「何だ」  「袋さひとつ分、米頂戴(ちょうだい)したいげんど」  「おお、そんな、ええどこでない」  「んでは、四、五日後にもらいにあがりますから、お倉番さそういうふうに言うてで呉(け)らっしゃい」  ほうして、四、五日経ったら、馬車何台もと紙袋ひとつ持ってお城さ行った。袋ひろげで、  「このお倉の米、全部頂戴して帰ります」 て言うたれば、お倉番がぶっ魂消(たまげ)た。ほして秀吉のとこさ走って行った。  「実は新左衛門がやって来まして・・・」  「ああ、一袋ぐらい呉てやれ」  「いや、その、実は、その袋というのが、またどでかいもんで、すぱっとはぁ、倉さかぶせてしまったはぁ」  「うん、武士に二言(にごん)はない。その倉は新左衛門に渡せ。余の命なかったかも知れんと思えば、安いもんだ」 ていうわけで、銭五百二十貫二百八十八文と、倉ひとつの米、そっくりもらったけど。  どんびんからりん すっからりん。  
119    3-8『モグラと馬(うま)と人間(にんげん)』 댓글:  조회:3723  추천:0  2011-11-22
3-8『モグラと馬(うま)と人間(にんげん)』   ―山梨県―    日本(にっぽん)は細長い国で、南と北では季節感がすこうしずれているわねぇ。でも、五月の今ごろは農家は、日本のどこもかしこも田や畑の仕事で大忙しの季節。  南国では、もう、田の苗植(なえう)えも畑の種植(たねう)えも終えてひと息ついておろうが、北国では、今が田の代掻(しろかき)や畑の畝(うね)おこしでご苦労のまっ最中でありましょう。   代掻ちゅうても、農家でないお人(ひと)には馴染(なじみ)のない言葉でわかりませんかねえ。  代掻というのは、田植えをする前の作業で、田に水を充(み)たしてから犂(すき)で土塊(つちくれ)をおこして砕(くだ)き、田の土面(つちづら)を平(たいら)にする作業で、普通は、荒代(あらしろ)、中代(なかしろ)、植代(うえしろ)と三回やります。これをきちんとやっとかないと、田から水モレがおきますし、せっかく植えた苗のつきが悪かったり稲の育ちも悪くなります。  代掻は、今でこそ機械化されて農業用トラクターでやりますから大分楽になりましたが、昔は牛や馬に犂をひかせてやっておりました。  子供か女が牛か馬の鼻とりをしてひっぱり、力のある男衆(おとこし)がそのうしろから犂を土に押しつけてやったものです。  牛も馬も人も泥まみれでやったつらい作業でありました。  畑仕事でも畝おこしは、たいがいは人が鍬(くわ)や鋤(すき)でやったものです。  そんだけ苦労しても、モグラが穴を掘るので、モグラ叩きはかかせません。  田畑の仕事には人と馬とモグラがついてまわりますが、これは、なんでも神さまがお決めになったことなんだそうです。  昔むかしの大むかしに、国じゅうがひどい飢饉(ききん)にみまわれまして、食べ物にひどく困ったことがあったそうです。  ある日馬と人間が道で出合って、食べ物がなくて困る話をしていると、そこへモグラがやってきて、  「俺たちがこんなに困っているのに、神様のお蔵(くら)には穀物(こくもつ)がギッチリ積(つ)まっているっちゅうこんだぞ」 といいました。馬が、  「俺も聞いたが、神様はいっこうに分けてくれるふうでもないなぁ」 というたら、モグラは、  「ケチな神様なんか、糞(くそ)くらえだ。いっそ押し込んでやるべ」 といいました。人間が、  「おそれおおいこというな。俺はそがいな罰当(ばちあた)りなことはいやどぉ」 というたら、モグラが  「なあに、かまうこたぁねえ。ケチ神(がみ)のところから穀物を盗み出さざあ」 というて、馬と一緒に出かけましたそうです。  神様のところへ忍(しの)んで行って、モグラが地面に穴を掘ってお蔵の床下(ゆかした)を破り、穀物を盗み出した。それを馬が背中に乗せて、急いで逃げた。遠くへ遠くへ駆(か)けていって、  「ここまで来りゃぁ、もうええな」 というて、モグラと馬とで腹いっぱい食べたといいます。  しかし、神様の物を盗ったのですから、神様に知れないわけにはいきません。二日ばかりするうちにやっぱり神様に知れた。モグラと馬と人間は神様の前に呼び出されて、お裁きを受けることになりました。  神様は先(ま)ず人間に、  「お前は悪さをしとらんな。だが、お前はモグラと馬が悪さをするのを知っとりながら止(と)めなかったので、苦労しないで食べ物を得(う)ることはならん。明るい娑婆(しゃば)で、畑へ作物を作って暮らせ」 とおっしゃられて、穀物の種をくれ、その作り方をも教えて下さった。  次に馬に向って、  「お前はかついで逃げたので、これからは一生の間、人間に使われて荷を運べ」 といいつけ、おしまいにモグラには、  「お前が一番悪い。地を掘って蔵に穴をあけたので、明るい娑婆に置くわけにはいかぬ。あしたから土に潜(もぐ)って地の下で暮らせ」 といいわたされました。  それで人間と馬とモグラは今に至(いた)るもそのように暮らしているのだということです。  いっちんさけえ。  
118    3-7『貧乏神(びんぼうがみ)』 댓글:  조회:3779  추천:0  2011-11-22
3-7『貧乏神(びんぼうがみ)』   ―兵庫県―    昔あるところに一人の貧乏(びんぼう)な男がおった。  男は、食う物ぁ食わんとっても、寝とる方がええというほど仕事嫌いだったと。  ある年の節分(せつぶん)の晩に、豆まきもせんと囲炉裏(いろり)の横で煎餅布団(せんべいぶとん)にくるまって寝ていると、天井裏(てんじょううら)から妙な者(もん)が降りて来た。片目を開けて見たら、病(や)みあがりのように痩(や)せ、髭(ひげ)は伸び放題(ほうだい)に伸び、頭ぁ箒(ほうき)のように逆立(さかだ)った人相(にんそう)の悪い年寄だ。  「お前は、何者だいや」  「儂(わし)ぁなげぇ間(あいだ)厄介(やっかい)になっとる貧乏神(びんぼうがみ)だ」  「何しい降りて来ただいや」  「うん、もうそろそろ暇(いとま)しよう思うてな」  「そうか、そりゃ結構だ。俺(おれ)もその方がありがてい。一刻(いっこく)も早う出ていってくれぇ」  男は寝たまんまで、  「起きるのもおっくうだから、戸はちゃんと閉(し)めてってくれえよ」 いうたら、貧乏神が戸口で振り返って、  「おう、忘れて出よった。まごう世話になった礼に、ええこと教えてやる。  明日の朝早うに、前の道ぃ出て待っとれ。宝物を積んだ馬が通る。  一番前(さき)の馬には金と銀を積んどる。  二番目の馬には、綾(あや)や錦(にしき)の織物が積まれ、  三番目の馬、これが終(しま)いじゃが、珊瑚(さんご)や瑪瑙(めのう)なんぞが積まれとる。  そのどれでもええ。棒で叩(たた)いたら、それぁお前の物になる。しっかりやれよ」 というて、戸を閉めて出て行ったと。   男は、そうゆうことなら明日ぁ早起きして、三つとも叩いてやろう。長い棒で横なぐりにした方が叩き易(やす)かろう、と思案しながら眠ったと。  朝方、まだうす暗いうちに目がさめた男は、もう起きにゃぁなるまえ、と思ったけど、いつもの怠(なま)け癖(くせ)でなかなか起きられん。それでも、  「あいつの言う通りなら、どれひとつなぐってもいっぺんに分限者(ぶげんしゃ)になれる。試(ため)してみるか」 いうて、しぶる身体をむりやり起こして、長い竿(さお)かついで家の前の道に出て待っとったと。  けど、一番先の馬ぁすでに駆け抜けたあとで、二番目の馬が走ってきた。男は、  「やぁ、本当に馬がかけてきたぞ。あいつの言う通りなら、あれが金銀の馬だな。ようし、そうれっ」 と、長い竿を振りまわした。竿の先が木の枝に引っ掛かって、馬はその下をくぐって走り抜けたと。 「やぁしまったぁ。竿が長過ぎたか」 いうて、今度(こんだ)ぁ短い竿を持って待っていると、三番目の馬が走って来た。  「よし、あれは綾や錦を積んどる馬だな。もう俺の物だ。え―い」 と、短い竿をぶんまわした。竿が短(みじこ)うて届かなかったと。  「やぁ、しまった。また、しくじった。竿が短過ぎたか」 と、くやしがって、今度ぁ、もう少し長い竿を持って待った。  また、馬が走って来るので、  「こいつが三番目の珊瑚や瑪瑙の馬だな。なにがなんでもぶちあてて分限者になってやる。そうれっ」 と、思いきり横なぐりにした。今度ぁ手ごたえがあった。  やれ嬉しや、と思ったら、その馬には昨晩(ゆんべ)の貧乏神が乗っとって、  「儂ぁ、今年ぁ他家(よそ)で暮らそうと思っとったに、また、厄介になる」 と、いうたと。  いっちこたあちこ。  
117    3-6『狐(きつね)の嫁入(よめい)りと爺(じ)ンちゃ』 댓글:  조회:4000  추천:0  2011-11-22
3-6『狐(きつね)の嫁入(よめい)りと爺(じ)ンちゃ』   ―福島県―    むかし、福島県の浜通(はまどう)りにある村に、ひとりの爺(じ)ンちゃが住んであった。  お正月も近くなったある日、町へ買い物へ出かけたと。  その戻り道(みち)でのこと。  爺ンちゃは買いこんだいろんなものを背中に背負(しょ)い、片手に荒巻(あらまき)き鮭(じゃけ)をぶらさげ、もう片手に提灯(ちょうちん)を持って、ざとうころばしに差しかかった。左手は夏井川(なついがわ)で、右手は山の寂(さび)しいところになっており、昔、ざとうがよく転んだために、そう呼ばれるようになった所だ。  あたりはもう真っ暗、足元(あしもと)を照らす提灯のあかりをたよりに、ここからは、そろりそろり行かにゃぁ、と気を引き締(し)めたとき、うしろの方で何やら大勢(おおぜい)の人が来る気配(けはい)がした。  降り返えると、二丁ほど離(はな)れたところをたくさんの提灯が登ってくる。  どうやら嫁入(よめい)り行列のようだ。  「こんな時間に珍(めずら)しい。そうじゃ、あの人たちと一緒に行けば淋(さび)しいざとうころばしも賑(にぎ)やかに越すことが出来るわい。さて、一服つけて待つか」 というて、道の脇(わき)の土手(どて)に腰を下(お)ろし、塩鮭(しおじゃけ)を片わらに置いて、きせるの煙草(たばこ)を吸いはじめたと。 「うーん、なかなか美しい行列なもんだ。つのかくしをしているから、あれがお嫁さんかな。タンス、長持ちもある。豪勢(ごうせい)なもんだ」 と、行列をながめながら待っていたが、そのうち妙(みょう)なことに気がついた。いくら待ってもその提灯行列が、なかなかこっちに近づいてこんのだ。いつまで経っても、向こう二丁ぐらいのところを歩いている。道は一本しかないのに、これは奇妙だ。  「さては、あの行列は狐(きつね)の嫁入りかな。うかうかしていると、正月仕度(じたく)をとられてしまうわい」 と急いで立ち上がった。もいちど振り返ったら、提灯行列の灯(ひ)がすっかり消えて、真っ暗闇(くらやみ)になっておった。  「やっぱり狐の嫁入りであったか。早く気がついてよかったわい」 というて、ほっとして歩き出したと。  しばらく行くと、行く手に提灯の明かりが見えた。夜目(よめ)をすかして見ると、娘がひとり立ち止まって、爺ンちゃを待っているふうだ。  近づくと、娘は、  「どうも寂しくて困っていました。爺ンちゃ、どうか送って下さい」 という。  爺ンちゃは、淋しいざとうころばしを娘と行けるので心楽しく思い、二人連れだって行ったと。  ざとうころばしも無事に過ぎ、ほっとして、後ろからついてくる娘に、  「いま、狐の嫁入りを見た。いやぁきれいな行列じゃった」 と話しかけていると、行き手に、見なれない橋があった。  「はて、こんなところに橋があったかな」 といぶかりながら、その橋を渡ろうとして一歩踏(ふ)み出した。  そのとたん、橋は消え、爺ンちゃは、あっという間に川にはまってしまった。  荒巻き鮭と、若い娘は、どこかに消えてしまったと。  ざっとはらった。  
116    3-5『女房(にょうぼう)を出(だ)す戸口(とぐち)』 댓글:  조회:4199  추천:0  2011-11-22
3-5『女房(にょうぼう)を出(だ)す戸口(とぐち)』   ―岩手県―    むがすあったじもな。  あるどごに夫と女房があったど。  夫は、隣の女房が常日(つねひ)ごろ化粧ばかりしているので、ばかにいい女ごに見えただ。惚れだど。  家(うち)の女房は働くことばかりして身形(みなり)はかまわぬ。みだくなし女に見えた。褪(さ)めだど。  ある日、夫は女房に、  「お前はみだくなしだによって、ひまを呉(け)るはへ(ので)と、出て行け」 と言うた。  そこで家の女房はあきらめで、家を出はって行く気で、湯さ入り、お歯黒をつけだり、髪を結っだり化粧したらば、隣の女房よりも一段とよい女ごになっだ。  夫は目ぇぱちくりかえして、ひまを呉でやるのが急に惜しぐなっだど。  その女房、夫の前さ手をついで、  「私も今日までお世話になりまして、ありがとうござんした」 ど礼を述べて、  「それではお前さまも達者でいでくだされ」 どで、ひまをとり、台所(だいどころ)から土間(どま)の戸口(とぐち)さ行ぐと、夫が来で、その出口さ立ちふさがっだ。  「ここは俺(おれ)の戸口だがら、ここがら出るな」 と、とめる。女房は表口の玄関さ行って、そこから出べとしたら、夫がそこさも立ちふさがって、  「ここも俺の玄関だから、こごからも出るな」 ど言っだ。  そごで今度(こんだ)ぁ、座敷の縁側から出はべとすたれば、また、そごさもふさがって、  「こごも俺の縁側だから出るな」 ど、止めだど。  女房、あぎれで、  「それでは出て行ぐ戸口はないがら、私に出て行くなてしか(ということか)」 ど聞ぐど、夫は、  「うん出て行ぐな」 言っだど。  女房は装(よそお)いをほぐしで、元のとおり家にいるごどになっだら、夫は、それから隣の女房さ通わねぐなっだど。  どっとはらい。  
115    3-4『亥(い)の子(こ)祝(いわ)いの起(お)こり』 댓글:  조회:3676  추천:0  2011-11-22
3-4『亥(い)の子(こ)祝(いわ)いの起(お)こり』   ―愛媛県―    むかし、ある山里(やまざと)に娘とおっ母(か)さんとが暮らしておったと。  山の畑には真ん中に大っきな石がデンと座っていて、じゃまになって困っていたと。  あるとき、娘とおっ母さんがこの畑を耕(たがや)しながら、  「石がないと作物もようけとれるのに」  「そうやなあ」 と話をしていたら、藪(やぶ)の葉蔭(はかげ)で猪(いのしし)がそれを聞きつけ、景色のいい若者に化けた。そして、  「わしがその石、のけてやろか」 と声をかけた。  娘とおっ母さんは、びっくりして声のした方を見ると、藪をかきわけて若者が近づいてきた。  「あんた、どこのひとやぁ」  「わしは、この山向こうに近頃(ちかごろ)住(す)みはじめたもんだ」  「そうやったかねぇ?どこから来たん」  「それより、その石、困ってるんやろ」  「なに、そんなこと言うたって、この大石(おおいし)がのけられるもんかね」  「のけたら娘を嫁にくれるかい」  おっ母さんは、この若者が山向こうに住みはじめたという話も聞いていないし、素性(すじょう)の知れんこんなやさ男に石がのけられるはずもないと、たかをくくって、  「のけたら嫁にやるわ」 と言うたと。  そしたらなんと、ほんとに取(と)り除(の)けてしもうて、けっこうな畑になった。若者は、  「明日(あした)、迎えに来る」 といいおいて、藪をこいで山向こうへ姿を消したと。  次の朝、おっ母さんが、どうしょうこうしょう、とおろおろしているところへ、景色のいい若者が迎えに来た。娘は、  「約束したものじゃけに、しょうがないわ」 というて、藁(わら)を大っきくひとくくりすると、聟(むこ)に背負(しょ)わせて、一緒に山を上(あが)って行ったと。  娘は聟の後(あと)からついて行きながら、昨日(きのう)、石を除けるときの若者の姿を思い出していた。  後足(うしろあし)で二度三度土をかくようなさま。  両手、両足を土にめり込ませながら肩で大石を押し切ったさま。  ついに大石は畑の斜面を山下(やました)に転がり落ちていったのだと。  そしていま、目の前を藁の大束(おおたば)を背負って歩いていくさまも、どこをどうとははっきりしないが、どこか人間離れした足の運びだ。  娘は、この聟は化物に違いないと思うた。  どうにかして殺さないかんと思案しながら山の上へ上へとついて行ったら、茅(かや)がたくさん生えた所へ差しかかった。  ここだ、と思うて、聟が背負っている藁に火を点けたらボウボウと燃えた。聟が、  「アチ、アチッ、アチチィッ」 と叫(おら)んだとたん、化けの皮がはがれて元(もと)の猪の姿にもどったと。  アチーと叫んではあっち走り、アチーと叫んではこっち突っ走りしているうちに、茅にも燃え移って、火に囲(かこ)まれた猪は、とうとう焼け死んだと。  娘とおっ母さんは、また、山の畑を耕した。  ところが、この年いっこうに作物が稔(みの)らん。  拝(おが)み屋に拝んでもろうたら、猪の祟(たた)りじゃという。  娘とおっ母さんは、猪のとむらいをして、供養したと。  そしたら、次の年には、以前にも増して作物がようけい出来たと。  毎年、余った作物を売って、だんだん暮らし振りもよくなった。やがては娘に人間の聟をもらって、子もたくさん産まれ、一生安楽に暮らしたと。  昔にこんなことがあって、「亥(い)の子祝(こいわ)い」の祭りが始まったと。  陰暦(いんれき)十月の亥の日の亥の刻(こく)に亥の子餅(もち)や、亥の子団子(だんご)を食べながら、    インノコ ネコノコ ネズミノコ    ユンベ生まれたウサギのコ と、おまじないを唱(とな)え、万病(まんびょう)を防(ふせ)ぎ、子孫繁盛(しそんはんじょう)を祝うのだそうな。   むかし こっぷり。
114    3-3『籾(もみ)とおしと天狗(てんぐ)さま』 댓글:  조회:3559  추천:0  2011-11-22
3-3『籾(もみ)とおしと天狗(てんぐ)さま』 ―鹿児島県種子島―    網(あみ)の目や篩(ふるい)や笊(ざる)や籾(もみ)とおしのように、目のたくさんあるものをとおしては、ものを見てはいけないといわれています。  幸(さち)が逃げるとか、災(わざわい)がふりかかるとかいうお人もいますが、どうしてかは、よく分かりません。この話がそれとどうつながるのかも。  むかし、ある男が籾とおしをかぶって、  「天狗(てんぐ)さま、天狗さま」 といいながら歩いていたと。松の木の側(そば)へ行ったら、ちょうど木の枝に天狗さまが休んでいたと。  「おい、お前(ま)やあ、なしかぁおれの姿が目ぇかかっとかあ、おれぁ隠蓑(かくれみの)をば着とるから見えんはずじゃが」 と、大声でたずねた。  男は、まさか本当に天狗さまと会えるとは思ってもいなかったのでびっくりした。が、なかなか気転(きてん)のきく男だったので、  「いや、これだけの目数(めかず)でみりゃぁ、天狗さまの姿なんざぁ、よう見え申すよ」 というた。  天狗さまは、そう聞くと、その籾とおしが無性(むしょう)に欲しくなった。  「お前の籾とおしと、おれの隠蓑とを、ちょっとの間(ま)とりかえてくれんか」 というた。男は、  「かえようわい。じゃばって、そのかわり聞かぁておくじゃり申さんか。いったい、天狗さまは何が一番きらいでおじゃり申すか」 と聞いた。天狗さまは、  「おれぁグミの木が一番きらいじゃ。あのそばにゃ寄りつきゃならん。ところで、そういうお前やぁ、何が一番きらいか」 と聞いてきた。男は、  「おらあ餅(もち)が一番嫌いでござり申す」 と、まじめくさって答えてやった。  こうして、天狗さまの隠蓑と男の籾とおしを、お互にとりかえたと。  隠蓑を手にした男は、すぐにそれを身につけた。そのとたんに男の姿は見えなくなった。  天狗さまは、早速(さっそく)、籾とおしの不思議な力をためそうと、それをかざしてみたが、男の姿はまるで見えん。  「これぁだまされた。こらっ、おれの隠蓑を早よ返せ」  天狗さまは鼻を真っ赤にしながら、かんかんに怒(おこ)って叫んだと、  男は、ときどき、ひょいと蓑をはずしてわざと姿を見せては逃げる。  天狗さまは、男のあとを夢中(むちゅう)で追いかける。  男は、こうして、天狗さまの一番嫌いなグミの木の下に行って隠れたと。  天狗さまは寄りつくことが出来ん。いっとき、どこかへ飛んで行ったかと思うと、すぐに餅を持ってきて、男めがけてどんどん投げつけた。男は、恐い、恐いちいいながら、その餅を拾うては食い、拾うては食いしたと。  天狗さまというものは、三日間隠蓑をつけないでいると、たとえ取り返しても、もう効(き)き目はなくなるそうな。だから、天狗さまは必死になって、三日間、餅を投げ続けたと。が、男はへこたれるどころか、ますます元気になった。  隠蓑は、とうとう男のものになったと。  天狗さまは真っ赤になって怒り、空を高く高く昇って行って、高みから男めがけて小便をしたと。ところが、ちとそれた。おまけに、あまり勢(いきお)いよくやったので、近江(おうみ)の平野を掘りさげて、そこに小便がたまって湖が出きたと。  「こらいけん」  天狗さまはすっかりあわてて、こんどは籾とおしをあてて小便をした。小便は雨となって空一面に散らばったと。ところが大地(だいち)にはそれがいい薬となって、草木は繁(しげ)る、穀物(こくもつ)は稔(みの)るで、人間世界はしあわせになるばかりだと。  そんなある日、男が出かけた間に、女房が押入れの奥の茶箱(ちゃばこ)を開けてみたら、こ汚(ぎた)ない蓑がしまってあった。  「こんな汚ないもの、こんげなところに入れて」 というて、かまどの火にくべて焼いてしもうた。  それで、隠蓑はこの世からなくなったと。  そしこんむかし。
113    3-2『目上(めうえ)の意見(いけん)と茄子(なす)の花』 댓글:  조회:3722  추천:0  2011-11-22
3-2『目上(めうえ)の意見(いけん)と茄子(なす)の花』   ―山口県―    むかし、あるところにお寺があって、和尚(おしょう)さんと小僧さんが住んでおったと。  あるとき、小僧さんが修行(しゅぎょう)に出ることになったと。  小僧さんがお寺の門のところまで行ったらうしろから和尚さんが、  「小僧、小僧、ちょっと来い」 と呼んだ。小僧さんは、  「何でござりますか」 といって戻ると、和尚さんは、  「あののう、途(と)ちゅうでどねえなことがあっても、柱(はしら)のない家(いえ)に宿(やど)をとるなよ」 というた。  小僧さんは、柱のない家なんどがあるもんかい、と思うたが、和尚さんのいわれることなので、  「はい、よろしゅうござります」 と返じをして出かけた。また門まで行くと、  「小僧、小僧、ちょっと来い」 と呼ばれた。  「何でござりますか」 といって戻ると、和尚さんは、  「あののう、旅に出て宿をとったとき、亭主(ていしゅ)より女房(にょうぼう)の方が大事にしてくれる家にゃあ、気ぃつけよ」 というた。小僧さんが、  「はい、よろしゅうござります」 と返じをして門まで行くと、また、  「小僧、小僧、ちょっと来い」 と呼ばれた。 「何でござりますか」 といって戻ると、和尚さんは、  「あののう、ねずみが劫(こう)を経(へ)たらコウスイちゅうモノになって、人を捕(と)って喰(く)うてぃや」 というた。小僧さんは、  「はい、わかりました」 といって、やっとお寺を出て行ったと。  いくがいくがいって、峠道(とうげみち)を歩いていたらにわかに黒雲(くろくも)が湧(わ)いて大夕立(おおゆうだち)が降ってきた。  この先の道端(みちばた)に崖(がけ)の土(つち)をかき出した洞(ほら)があったので、おおあわてでその中に入って雨が止むのを待ったと。  なにげなく雨粒(あまつぶ)を見ていたら、ひょいと、和尚さんのいわれた「柱のない家に宿をとるな」とは、このことじゃろうかい、と気がついた。それで洞から出た。そのとたん、なんと、洞の天井(てんじょう)の土がドサンとくずれ落ちた。  小僧さんはあぶないところを助かったと。  また、いくがいくがいくと日が暮れてきた。小僧さんは、野中(のなか)の一軒家(いっけんや)に泊めてもらったと。 その家(や)の女房は、風呂をわかしてくれたり、ごちそうしてくれたり、かいがいしく世話をやいてくれたと。が、亭主は囲炉裏(いろり)にあたっているばかりで、小僧さんをあまり見ないようにしているふうだ。  小僧さんは、和尚さんのいわれた、「亭主より女房の方が大事にしてくれる家にゃあ、気ぃつけよ」とは、この家のことかな、と思い気をつけることにしたと。  小僧さんが布団(ふとん)に入り、ひょいと天井を見ると、天井板にふし穴のような穴があった。ちょうど自分の胸の上のあたりだ。  「ありゃぁ何(なん)の穴じゃろうか。どうも変だ」 と、布団の中に枕を入れて人形(ひとがた)をつくり、自分は押入れに入って様子をうかがっていたと。  すると真夜中に、その穴から槍(やり)がおりてきて、布団を突きさした。  小僧さんはあぶないところを助かったと。  次の日もいくがいくがいくと、日が暮れた。  小僧さんは一軒のやぶれ寺を見つけて、その晩はそこに寝たと。  ところが、真夜中になって、天井をガタガタいわせて何かが出てくる気配(けはい)だ。  小僧さんは、こりゃぁ和尚さんのいわれたコウスイちゅうもんじゃろうか、と思い、コウスイならねずみの劫を経たモノだから、猫をおそろしがるにちがいない、と思案して、  「にゃお、にゃお」 と猫のなき声をした。  すると、案の定、今まで天井をガタガタさせていたモノが、どこかへ行ってしまった。  小僧さんは、和尚さんの言われた言葉で、三度まであぶないところを助かったと。 ”目上(めうえ)の意見(いけん)と茄子(なすび)の花(はな)は千に一(ひと)つも仇(あだ)がない”というてな、親や年寄りのいうことは、きちんと聴(き)くもんだ。  これきりべったり、ひらの蓋(ふた)。
112    3-1『まぁだまだわからん』 댓글:  조회:4005  추천:0  2011-11-22
3-1『まぁだまだわからん』   ―山口県―    今はクレジットカードの世の中ちゅうて、まんだ手にもしていない先(さき)の金(かね)を当てにして、物を買(こ)うたり、金を借りたり、そんな風だんが、金ちゅうは、手にしてはじめて使うもんじゃ。昔にこんな話がある。  むかし、むかし、大層(たいそう)日照(ひで)りの続いた年があった。蕎麦(そば)をまきたくとも、雨がひとつぶも降らない。いくら待っても日照りばかり。  かといって、まきどきをはずすと実がならん。とうとう、思いきってまいたと。  何日かたって孫が畑へ行ってみたら、蕎麦が生(は)えていたと。それを見て孫が大層喜び、畑から大いそぎで帰ってくると、大きな声で、  「爺(じい)さ、爺さ、蕎麦がはえちょるでの、雨が降らんけえ生えんかと思うたが、生えよらぁな」 というて、大さわぎだ。それを聞いた爺さが、  「へえーん、そうかぁの、蕎麦は少々(しょうしょう)日照りでも生えるちゅうことじゃが、今年のように日照りじゃぁどうかと思うたが、生えたかや」 というた。そしたら孫が、  「はあ、心配ないでの、爺、蕎麦は食えるでの」 と、はしゃいでいうた。爺は、  「うんな、まだ分からん。ものちゅうもんは、そねえ早よう騒ぐもんじゃない」 といさめたと。 それから何日かたって、孫が畑へ行ったら、蕎麦が大きくなって、うまいこと花が咲いた。  「爺さ、爺さ、畑一面蕎麦の花が真っ白う咲いちょるで、今度ぁ蕎麦は食える」  「うんな、うんな、まだ分からんて」  それからまた、何日か経(た)って、畑へ行ってみた孫が爺に、  「爺さ、爺さ、今度こそ心配ない。真っ黒い三角の実がいっぱいなっちょるけえ。今年は本当によう出来ちょる様(よう)なで。はあ、まちがいない。蕎麦は食える」 というと、爺さ、  「ものちゅうものは、そねえに、やぁやぁ言うもんじゃなあ。最後のどたんばまでは分からんもんじゃて」 と、いうた。  「まぁ、うれたちゅうんなら、蕎麦刈(か)りしようやぁ」 ということになって、蕎麦を刈って、干(ほ)して、それから家へ持って帰って、たたいて、いよいよ蕎麦の実になったと。孫が、  「早よう蕎麦食べよう。蕎麦食べよう」 というから、早速(さっそく)、臼(うす)へかけて粉をひいて、もろぶたへ入れて台所へ持って行った。  孫はそれを見て、やぁやぁいうて喜んだと。  囲炉裏(いろり)の端(はね)で、濃いいい茶を煮出して、茶碗(ちゃわん)に蕎麦の粉をいれて、グルグル、グルグルまわして、いよいよかき蕎麦が出来上ったと。  それを見た孫が、  「爺さ、爺さ、いよいよこれで蕎麦が食えるでの。今度ぁ、なんぼう爺さでも『んんなぁ未だ分からん』たぁ言うまぁの」 というたと。ところが、爺さ、また、  「んんな、未だ分からんてい。いよいよ口(くち)に入るまでは分からんてい」 というんだと。そしたら孫が、はぁはぁ笑(わろ)うて、  「爺さちゅうなぁ、なんと念(ねん)がいっちょるのう。これでも未だ分からんちゅうじゃけえ」 というた。  そしたら、どうしたはずみか、つい、茶碗がコロッとひっくり返って、前の囲炉裏の灰の中へ、ころげ落ちてしまったと。すると爺さ、  「そうら見いの。ものちゅうものは、いよいよ終(しま)いまで分からんちゅうんじゃい。今かたまで笑うていたが、どうかぁの」 というたと。  これきりべったりひらの蓋(ふた)。
111    일본설화 읽는 방법 댓글:  조회:3167  추천:0  2011-11-15
       여기에 싣고 있는 일본설화들은 지난 년간 일본의 하나 밖에 없는 국영텔레비죤방송국인 NHK에서 긴 시간 걸쳐서 방송해 온 설화들을 모집 정리하여 실은것들이다.       이미 실은 설화들이 백여개이고 앞으로 여러번에 걸쳐 300여개를 실은 예정이다.       여기에 실을 예정인 300여개의 일본설화들은 일본의 각 지역을 대표로하는 설화들을 그 본지방의 지방방언으로 쓰고 있다. 방언이기에 동경방언을 중심으로하여 형성된 일본의 표준말하고는 다소 차이가 있으나 어느 정도의 일본어 읽기 능력을 가지고 있는 분들이라면 원작 해독에 큰 곤난은 없으리라고 생각된다.      일본의 행정구역은 47개의 도도후겐(都道府県)으로 되여 있으며, 각 지역마다 그지역을 대표하는 지방방언이 존재한다. 지역방언으로 된 일본설화 읽기를 통하여 일본의 각 지역의 지방방언을 리해하고 학습하는데도 어느 정도 도움이 되리라고 생각된다.       그리고 어느 나라를 물론하고 신화나 설화는 여러가지 문학쟝르가운데서 역사가 오라고 인류사회초기부터 존속했던 문학쟝르라고 할수 있으며 다른 지역사회 다른 민족과 다른 나라간의 문화교류속에서 발전되고 풍부하여진 문학쟝르이다. 하기에 일본설화속에서도 많은 중국적 혹은 한국적 요소가 존재하며, 더 나아가서는 세계 여러나라의 유사한  설화들을 발견할수 있을 것이며 비교문학에 흥취를 가진분들은 일본설화를 읽는 것을 통해 중일한비교설화의 힌트를 받을수도 있으리라고 생각한다. 2011년11월15일 김정웅   
110    2-55『竹伐(たけき)り爺(じい)』 댓글:  조회:3875  추천:0  2011-11-13
2-55『竹伐(たけき)り爺(じい)』   ―広島県―    むかし、あるところに竹伐り爺がおったと  ある日、爺が竹藪へ行って、カッツン、カッツン竹を伐(き)っていたら、そこを殿様の行列が、下に―、下に―、とお通りになったと。  「そこで竹伐るは何者だぁ」  「日本一の屁こき爺でござる」  「それじゃあ、ひとつこいてみよ」  「ここじゃあ竹の切り株が立って、ようこきません」  「そうか、それじゃあ、むしろの上でこいてみよ」  「むしろのひげが立って、こかれません」  「それじゃあ、たたみの上でこいてみよ」  「たたみの上じゃあ、尻(しり)が滑(すべ)って、ようこきません」  「それじゃあ、わしの肩の上でこいてみい。」  「殿様の肩の上じゃあ、おそれおおくてこかれません」  「かまわん、かまわん」  「なら、ひとつ、こかしてもらいます」 と、いうことになって、爺は殿様の肩の上へあがって、    錦(にしき)ザラザラ 黄金ザラザラ    スッペラポ―ンのポ―ン と、屁をこいたと。  その音があまりにいい音で、その上、じゃこうのようないい匂いを周囲(あたり)に放(はな)ったから、お供の衆もたまげて、何遍も匂いをかいでおったと。殿様は、  「こりゃ、まあ、不思議な爺じゃあ」 と、仰せになって、たくさんの褒美(ほうび)を下されたと。  そしたら、隣の爺がそれを聞きつけて、  「わしも、あんな褒美がもらいたい」 と思うたと。  次に殿様が村をお通りになる日に、竹藪に入って、カッツン、カッツン竹を伐っておったら、  「下に―、下に―」 と、来て、  「そこで竹伐るは、何者だあ」 と、お尋ねになった。  隣りの爺は、いばって、  「日本一の屁こき爺なるぞ」 と、いうた。  「それじゃあ、ひとつこいてみよ」  「ここじゃあ、竹の切り株が立ってようこけん」  「それじゃあ、むしろの上でこいてみよ」  「むしろのひげが立ってこかれん」  「それじゃあ、たたみの上でこいてみよ」  「たたみの上じゃあ、屁が滑って、ようこけん」  「それじゃあ、わしの肩の上でこいてみよかまわんぞ」  「なら、ひとつこかしてもらおうかい」  隣りの爺は、殿様の肩の上へあがって屁をこいたと。こいたはいいが、    備後備中(びんこびっちゅう)ビイチビチ    丹後但馬(たんごたじま)のタアラタラ と、いうて、下(くだ)りっ腹の匂いの素まで出してしくじったと。  「やや、お前、にせの屁こき爺め」 と、叱かられて、刀で尻を斬(き)られたと。  それで、泣き泣き家へ帰ったら、婆が出て来て、  「爺さ、爺さ、褒美はどこにある」 と、聞いた。隣りの爺、  「褒美どころか、尻を斬られたあ」 と、倒れてしまったと。 昔こっぷり。  
109    2-54『天人女房(てんにんにょうぼう)』 댓글:  조회:2583  추천:0  2011-11-13
2-54『天人女房(てんにんにょうぼう)』   ―岩手県和賀郡―    むかし、あるところに長兵衛という千刈百姓(せんかりひゃくしょう)がおったと。  長兵衛は芥子(けし)を作るのが上手で、前の千刈畑はみんな芥子ばかりであったと。わけても花の盛りは見事なもので、花畑には霞(かすみ)が棚引(たなび)き、天人も舞い遊ぶかと思われるほどだと。  あるとき、長兵衛が花畑を見廻りしていると、空から美しい音色がきこえてきて、せんじゃこうのほのほのとした匂いがして、綾衣(あやぎぬ)をなびかせた天人が、舞い下りて来た。  あれあれと見ているうちに、天人は綾衣を花にかけて、うつらうつらと眠ってしまった。  長兵衛は、横からみても縦から見ても美しい天人に、すっかり魂を飛ばせて、何とかしてこの天人を女房にしたいものだと思った。  そこで、そろっと行って、天人の綾衣を花の中へ隠し、そしらぬ振りをしていたと。  夕方になって天人はようやく目を覚(さ)ました。天に帰ろうとすると、綾衣がない。  千刈畑の中を、あれやこれやと探し廻ったが、どれが花やら綾衣やら、探しあてることが出来なかったと。  長兵衛はそれを見ると、得たりとばかり、  「姉(あね)さま、何探してるな」 と、とぼけて聞いた。 天人は、綾衣がなくては天へ帰られない、と嘆いた。  「ははあ、それならさっき風が吹いて、花の中を、あっちにヒラヒラ、こっちにヒラヒラ飛んでいたが、はて、どこへ行ったか。千刈の芥子畑だ、とても探しようがない。花が散って、芥子坊主になるまで待たにゃぁ判らん」 というた。そればかりか、  「天に帰れないのなら、まずまず俺のところにごされ」 と、天人を自分の家へ連れて帰り、この家の人としたと。  さて、芥子の花が散る頃になると、天人は約束の綾衣を探してと頼んだと。  長兵衛は、天人を何としても離したくない。  「いやいや、花は散ったけれども、まだ葉が青々しているから」 と、探さなかったと。  その葉も落ちる頃になると、また、日に夜にかけて口説(くど)かれるので、長兵衛は仕方なくそれでは、と芥子畑へ行ってみた。  そしたら、隠しておいた綾衣は、雨風にさらされて着られるものじゃない。  それを知った天人は、泣いて泣いて、泣き暮れる毎日だ。長兵衛は可愛そうになって、  「実は、お前を女房にしたくて俺が綾衣を隠したんだ。償(つぐな)いに、望むことがあったら、なんでもしてやる」 というたと。そしたら、天人は、  「それでは、蓮田(はすだ)へ行って、蓮の花の茎(くき)を千本とってきて下さい。私はそれで糸を紡(つむ)ぐから」 と頼んだと。 長兵衛は、あちこちと駈(か)けめぐって、それを集めたと。  天人は、その花茎千本で、目に見えないほどの蓮の糸を紡ぎ、機(はた)にかけて、目も覚(さ)めるような綾衣を織り上げたと。  その織りあげた日から、三七、二十一日目に、玉のような男の子を生んだ。  そしたらある日、  「お名残(なご)り惜しいことですが、もはや私の天の下での命がつきる日が来ました。この子は乳がなくても育つ天人子(てんにんこ)ですが、もしもむづかるときがあったら、芥子畑へ連れて来て、芥子の花びらに乗っている朝露夕露を吸わせて下さい」 と、かなしそうにいうたと。  そして、綾衣を身につけて、フワフワと空高く舞い上(あが)って、天へ帰ってしまったと。  その後、長兵衛は天人が恋しくなると、その子を抱いて芥子畑に立っておったが、そのたびに空から美しい音色(ねいろ)が響いてきて、天人の、長兵衛よぶ子よぶ声が聞こえたそうな。  そんどはれぇ。  
108    2-53『カッパの墓』 댓글:  조회:2801  추천:0  2011-11-13
 2-53『カッパの墓』 ―秋田県―    カッパの話か? あるな、このあたりにも。  そこの雄物川(おものがわ)な、来るときに見たべ。秋田平野を二つに割って流れる秋田一の川だ。その川におるっちゅうな。カッパが。  雄物川のカッパは、四月にまいたソバの茎(くき)がのびて赤くなる頃から、九月の末(すえ)花が真白に咲く頃までいると言われとる。その間に川泳ぎに行った子供がカッパにさらわれ、尻から肝(きも)を抜かれ、おらの友達も、かあいそうに何人か死んだ。  だがな、カッパのなかにも冒険好きなやつがいて、ソバの花が終っても帰らないのがいたんだと。  はじめのうちはすいすいと遊んでおったが、雪国のことだ、そのうち雪やあられが落ちはじめたと。  カッパの頭には皿コがあって、カッパにとっては何より大切なものなんだと。その皿コにあられがカチンカチン当たる。カッパは今までぜんぜん知らん世界のことだもんで、何ぼかあわてたもんだべな。  急いで川からあがり、あたりをきょろきょろ見まわしながら走りまわって、お寺の前の蓮沼を見つけて飛び込み、蓮の葉っぱの下にもぐり込んだと。そして葉っぱを笠(かさ)のかわりにして、ほっとしたと。  だが、この葉っぱも寒くなるにつれ枯れてきて、破れて水の中に沈んでいったと。  「困ったなあ」 と、思案しているところを、お寺の和尚さんに見つけられたと。  「おや、カッパコでねか。お前また何で皆と一緒に行かねかったんだ。大変なしくじりをしてしまったな」 と、声をかけられたが、カッパは、  「人間に見つけられてはたまらない」 と思って、泥の中に、すい―っと潜(もぐ)っていったと。和尚さんは、  「カッパコよ、おらなの何もおっかなくねえんだ。困ったら寺に来い」 と言って、山門(さんもん)をくぐって行った。  カッパはよほど気の強いやつだったかしてそのまま泥の中にいたわけだ。  だが、ある日とうとう冬の前触れの大嵐が吹き、それとともに大きいあられが降ってきて、カッパの皿コをカツンカツンと叩きはじめたと。  カッパはどこかに隠れ場所をさがそうと、あちこち走りまわるうち、皿コは傷つき、頭から血が流れてきた。痛いのと驚いたのと、何とも言いようのない恐(おそ)ろしさに川の方へ真っしぐらに走っていき、水の中に潜ったと。  だが、皿コの傷はしみるし、痛むし、我慢できなくて、陸(おか)へあがったり水に潜(もぐ)ったり、何十遍もくりかえすうちに、とうとう陸へあがったまま動けなくなってしまったと。  カッパは皿コの水が無くなれば力も何も無くなるために、自然に消えるように死んでいったと。その上に雪が降り積ったと。  春になったある日、寺の和尚さんは、ミイラのようになって死んでいるカッパを見つけた。  「おやっ、カッパコ。お前なんとしたべと思っていたら、死んでしまっていたのか。かあいそうに」 と言って、雄物川の見える山の上に墓を建て、  「カッパコや、またソバの茎の赤くなる頃、お前の仲間たちが集まってくるべ。ここからながめておれな」 と話しかけて、ていねいに弔(とむら)いをしてやったと。  それからというもの、この村ではカッパにさらわれたという話も聞かなくなったが、冒険好きのカッパの墓もどこにあるのか、今では知る人もいない。  こうした話を聞かなくなって、さびしいことだな。  これきってとっぴんぱらりのぷう
107    2-52『蛙聟(かえるむこ)』 댓글:  조회:2624  추천:0  2011-11-13
2-52『蛙聟(かえるむこ)』   ―岩手県江刺郡―    むかし、あるところに爺さんと婆さんが暮らしていたと。  子供がなかったので、何をするにも張り合いがない。  それで、毎朝毎晩、畑の行き帰りに道端のお堂の観音様へ掌(て)を合わせては、  「人並みの子でなくてもいい、蛙のような子でもいいから、自分の子と名のつくものを授けて下され」 と願をかけていたと。  そしたら、婆さんのお腹が大きくなって、やがて、赤子が生まれたと。  生まれたは生まれたが、それが、蛙のような顔形の赤子であったと。  爺さんと婆さんは、喜ぶやな嘆くやら。それでも、願をかけて神様から授かったのだから言うて、てんてこ舞いしながら、なめるように育てたと。  子供はぐんぐん大きく育って、はや、年頃になったと。  爺さんと婆さんは蛙息子に嫁ごを迎えようとして、方々(方々)探したが、こんな顔形だから誰も来てはなかったと。  そしたらある日、蛙息子が、  「これから嫁ご探しに出かけますから、蕎麦(そば)の粉を一袋下さい」 というて、蕎麦の粉一袋をもって出掛けていったと。  いくがいくがいくと、ある村に大分限者の家があって、そこには、きれいな姉と妹の娘がいた。蛙息子は、  「ここのがええ」 というて訪ねて行き、泊めてもらったと。  そして真夜中になってみんなが眠ったころ、蛙息子ひとり起き出て、姉娘の寝ている所へそっと忍び入り、蕎麦の粉を姉娘の口のまわりに塗りつけ、袋をその枕元に置いて来たと。  さてと次の朝、蛙息子は早起きして分限者に向かって、  「朝ご飯を食べようとしてみたら、寝るとき自分の枕元に置いといた蕎麦の粉が無くなっていた。きっと、ここの娘のどちらかが物珍しくて食ったにちがいない」 と騒ぎたてた。分限者は、  「わしの娘にかぎって、そんなことはない」 というけれども蛙息子は聞かない。  「もし食っていたらどうするか」  「もしそうなら、お前のいいようにしていい」  「それじゃ、俺の嫁ごにするがいいか」  「娘が本当に盗ったのなら、この家の恥になるから家には置けない。勝手に連れて行くがいい」  分限者と蛙息子は姉妹の寝ている座敷に行ってみることになったと。  そうしたところが、姉妹の枕元には袋があり、口のまわりには蕎麦の粉がいっぱいくっついている。  姉娘は身に覚えのないことだが、確かに枕元には蕎麦の袋があり、口には粉がついているので、どうにも言い訳出来ないのだと。  「でも・・・でも・・・私、食べてないもん・・・」 と泣きながら訴えるけれども蛙息は聞かない。  「約束通り、俺の嫁ごに連れて行く」 と蛙息子が言うと、分限者も、  「ふびんだが、盗みをするような娘はわしの娘とは思わん。この男は顔形はよくないがこれもお前の身の定めじゃろう。一緒に出て行きなさい」 というた。姉娘は、親が決めたのなら仕方ないと、泣く泣く蛙息子と連れ立って家を出たと。  家に帰り着くと、爺さんと婆さんは、三国一の嫁ごだいうて大喜びして迎えてくれたと。  祝言のかための杯を交わしたら、姉娘はいよいよ仕方ないと諦めたと。  そしたら蛙息子が火吹竹を持って来て、  「これで俺の背中を思いっきり叩いてくれ、竹が割れるほど打ちすえてくれ」 というた。  姉娘は、いっそ打ち殺してやりたいと思って、力をこめて、何度も何度も叩いたと。  そしたらなんと、醜(みにく)かった蛙息子が「ぐわっ」とひと声ほえて、たちまち三国一の景色のいい男に変ったと。そして、  「今まで蛙のような姿だったが、俺は神の授け子で、これが本当の姿だ」 というたと。  爺さんと婆さんは、三国一(さんごくいち)の蛙聟(かえるむこ)と三国一の嫁ごを持って、一生安楽に暮らしたと。こりぎりぞ。  
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